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マンダム会長 西村元延氏

マンダム会長 西村元延氏

男性用化粧品の大手で、今でこそ新興国へのグローバル展開の成功例として名前が挙がるマンダム。しかし西村元延会長(70)が入社して間もないころ、会社は危機的な状況に陥ってつぶれかけたことがある。父の彦次氏がメーカー本位の強引な改革を進めて1978年5月から直販体制に移行したものの、市場や取引先から支持されず、あっという間に赤字転落してしまったのだ。西村会長の社歴はどん底から始まった。

――危機的な状況下でのリーダーシップをどなたから学びましたか。

「父の西村彦次と叔父の西村育雄です。父は社長として70年、俳優のチャールズ・ブロンソンを起用したCMで『マンダム』のブランドを浸透させました。翌71年に社名を丹頂からマンダムに変更し、会社は大きく飛躍しました」

「さらに78年、父は『代理店を通さない直接販売に移行する』と宣言し、営業所・出張所を全国展開して多くの販売員を採用しました。自らの商品を自らの手で育てるということが直販の目標でしたが、極端な売り上げ至上主義が横行し、巨額の赤字を出してしまいました」

「父は2年で販売を代理店経由に戻しました。苦渋の決断でした。知名度を一気に高めた功労者ですが、存続が危ぶまれる事態に至り、父は80年に社長を退きました」

――後任の社長には叔父の西村育雄氏が就きました。

「販売会社を整理し、450人いた販社の社員を220人に削減、本体でも希望退職者を募りました。叔父が朝礼で人員削減を発表した時のつらそうな表情は忘れられません。トップが下す重い決断を再び目の当たりにしました」

「借入金は資本金の20倍に膨らんでおり、返済のため処分した土地の上にはマンションが建ちました。会長室の窓から外を見ると必ず目に入ります。父と叔父の苦悩を思い出させてくれる貴重な反省材料です」

――直販時代に誕生し、現在も業績に貢献する貴重な財産があると聞きました。

「直販を支える新ブランドとして78年に投入した『ギャツビー』です。ブランド名はいったん『メンズ・ラブ』に決まりかけましたが、父が小説『華麗なるギャツビー』を読んで感銘を受け、映画で主人公を演じたロバート・レッドフォードのファンでもあったため、差し替えたのです」

「権利面のハードルをクリアし、『ギャツビー』は主力ブランドに育ちました。時として趣味が実利につながることを学びました」

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