「やるしかない」仕事黙々と(折れないキャリア)
損保ジャパンキャリアビューロー社長 小平恵子さん
2020年、人材派遣を担う損保ジャパンキャリアビューローの社長に就いた。損害保険ジャパンのグループ企業では2人目の一般職出身の女性社長だ。
「経営者になるとは夢にも考えていなかった」。高校卒業後、旧安田火災海上保険(現損害保険ジャパン)に入社した。男性総合職の指示を受け、保険料の計算などをこなす日々。「補助的な役割に何の疑いも持っていなかった」と振り返る。
現場でプロとして重宝される一方で、次第に本社が作る煩雑な規定や保険商品に不満を持つようになる。「分かりやすい商品の開発に携わりたい」。そんな思いを募らせていった。
転機が訪れたのは入社から16年目だ。本社の企業営業推進部に異動した。喜んだのもつかの間、与えられたのは全く希望していなかった「業務インストラクター」の仕事だった。役割は代理店への事務指導や業務点検、新入社員研修など。「指導や管理業務より、お客様とじかに接する実務に魅力を感じていた」だけに、落胆は大きかった。
嫌々ながら就いた仕事。それでも手は抜かなかった。全国各地の代理店に足を運び、業務の相談に乗る。社員研修にも力を入れた。すると次第に会社の全体像が見えてきた。気がつくと「現場の役に立っているという実感を得て、喜びを感じるようになっていた」。
一般職が廃止された10年、転勤のない「エリア職」では最高位となる業務課長に47歳で就いた。まもなく異動した人事部で「会社人生最大の壁」にぶつかる。産休に入った後輩の穴埋めとして、業務課長でありながらデータ入力作業など事務処理を任されたのだ。「男性だったらキャリア上『やらなくていいこと』なのに、とがくぜんとした」
やるせなさを抱きつつ、ここでも仕事には手を抜かなかった。「やるしかない」。黙々と目の前の事務作業をこなした。
そんな姿を周囲は見ていた。人事グループの課長、会計統括部長を経て20年、担当役員に呼ばれた。「次は損保ジャパンキャリアビューローの社長だから」
新型コロナウイルスの感染拡大で、人材派遣業には逆風がふく。だがこれまで壁にぶつかっても踏ん張り、苦労は実を結んできた。今回も「なんとか乗り越えられる企業体質の構築を目指す」と日々、奮闘する。
(聞き手は高橋里奈)
[日本経済新聞朝刊2021年9月27日付]
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