道は一つじゃない 自分の長所を見つけて一点突破する
―― 「ダメなら仕方がない」とあきらめてしまいがちですが、岡島さんのキャリアは、「ダメだったら、違う道を探す」の積み重ねですね。
岡島 道は一つじゃないという考え方が、私の中にはずっとあったのだと思います。「こっちがダメなら別の方法で」と常に考える。例えば私は国語の成績は良かったけれども、数学は良くなかった。でも、国語で一番をとると先生も評価してくれる。いいところを前に出しておけば、悪いところは消えていくみたいなことに割と早く気づいていたかもしれません。
その後のキャリアでも、壁があったら無理して乗り越えるのではなく、迂回してあるいは方向転換して、自分のやりたいことをしてきました。それも当時は女性だから実現しやすかったのかもしれません。今は状況がだいぶ変わりましたが、当時は女性が長く勤めるとは思われていませんでした。だから、辞めて転職をするのも容易でしたし、選択肢はそれほどなかったとはいえ、会社を選ぶことはできました。
マイナス面を見るより、自分のいいところに光を当てて、それを生かせる仕事先を考えることですよね。次の世代の人に強く伝えたいのは、自分が「楽しくない」と感じているなら、それはもう完全に合ってないっていうサイン。方向転換した方がいいんです。そうしないと体を壊してしまいますから。

バブルがはじけると予見して決めた結婚
―― 初めての海外勤務はシンガポールで、その後、米国に渡っています。この経緯について教えてください。
岡島 それもすごく個人的な理由です。ケミカルバンク勤務時代から付き合っていた今の夫が、当時マレーシアに駐在していました。東京とマレーシアって、飛行機で7時間かかるんです。だいたい中間地点の香港でデートしていたのですが、もうちょっと近いところがいいと、シンガポールに子会社があったので、シンガポール勤務を希望して行かせてもらったのです。
米国に行ったのは結婚退社によるものです。ちょうどその頃、1989年の終わりが日本株のピークでした。私はアナリストをやっていたので、これから先10年は日本株はダメだという確信があったのです。それで、結婚するなら今だと思って結婚したのです。もし日本株が上昇していたら、結婚のタイミングを逃していたかもしれません(笑)。
当時の証券会社では部下が辞めると上司にバツが付いてしまうのですが、例外が寿退社だったんです。なので、上司に迷惑をかけることもない。もうパッと結婚して夫と米国に行きました。
外資→WEリーグへ 自己肯定感の低い人こそリーダーに
(取材・文 中城邦子、構成 市川礼子=日経xwoman ARIA、写真 斎藤順子)
[日経xwoman 2022年1月13日付の掲載記事を基に再構成]