セクハラの経済的コストは 東大教授・山口慎太郎
ダイバーシティ進化論
誰もが働きやすい職場環境を築く上で、ハラスメントの解消は不可欠だ。しかし、長年問題視されながらも後をたたないのがセクハラである。セクハラは被害者に大きな精神的苦痛を与え、心身の健康を損なうだけでなく、企業にも様々な形で損害を及ぼす。
企業にとって、セクハラの経済的コストはどれほどのものだろうか。セクハラはその実態を把握することさえ難しいが、定量的な評価を試みた研究から一定の知見が得られている。
まず挙げられるのは、被害者の離職から生じるコストだ。新たな人材を採用し、研修を受けさせ、元の人材を穴埋めするには一定の時間と費用がかかる。米国の調査では、セクハラ被害を経験した人の離職意向は、そうでない人に比べて27%も高かった[注1]。
また、米陸軍がセクハラの経済的コストを分析したところ、その3分の2が被害者の離職によるものであることがわかった[注2]。さらに、セクハラが社外にも知れ渡ると採用活動にも支障をきたす。人手不足の現代において、セクハラは無視できない損害を企業に及ぼすだろう。
セクハラは低生産性とも結び付いている。研究によると、上位30%に位置する優秀な社員のパフォーマンスが、セクハラ被害のために、平均的な水準まで落ちこむほどのインパクトがある[注3]。生産性が下がるのは被害者本人にとどまらない。米飲食業を対象とした分析によると、セクハラが起こる職場では、信頼関係や協力関係が築けず、チームとしての一体感やまとまりを欠く結果、店舗全体の利益が低い傾向がみられた[注4]。
この他にも、セクハラは企業の社会的評価を毀損し、他企業との取引や一般消費者への販売にも支障をきたしうる。ESG(環境・社会・企業統治)投資を行う機関投資家はセクハラをガバナンス上の大きなリスクとみなすため、株価にも影響を及ぼすだろう。
セクハラを防ぐには、意識改革だけでは不十分だ。セクハラ禁止規定を定めるとともに、報復を恐れずに被害報告できる仕組みを整備しなければならない[注5]。こうした取り組みを実効性あるものにするためには法制度の後ろ盾が必要だ。しかし、日本は先進国で唯一セクハラ行為自体を禁止する法律がない[注6]。
職場からセクハラを追放し、人々が安心して働ける環境を築くことは、企業と日本経済の成長にとって不可欠だ。早急な法整備が求められる。
[注2]Faley RH, Knapp DE, Kustis GA, Dubois CLZ. Estimating the organizational costs of sexual harassment: The case of the U.S. Army. J Bus Psychol. 1999;13(4):461-484. doi:10.1023/a:1022987119277
[注3]Willness CR, Steel P, Lee K. A meta-analysis of the antecedents and consequences of workplace sexual harassment. Pers Psychol. 2007;60(1):127-162. doi:10.1111/j.1744-6570.2007.00067.x
[注4]Raver JL, Gelfand MJ. Beyond the individual victim: Linking sexual harassment, team processes, and team performance. Acad Manag J. 2005;48(3):387-400. doi:10.5465/AMJ.2005.17407904
[注5]Hersch J. Sexual harassment in the workplace. IZA World Labor. 2015;25(09):13-13. doi:10.15185/izawol.188
[注6]角田由紀子, 伊藤和子. 脱セクシュアル・ハラスメント宣言. かもがわ出版; 2021.
東京大学経済学研究科教授。内閣府・男女共同参画会議議員も務める。慶応義塾大学商学部卒、米ウィスコンシン大学経済学博士号(PhD)取得。カナダ・マクマスター大学准教授などを経て、2019年より現職。専門は労働市場を分析する「労働経済学」と、結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」。著書『「家族の幸せ」の経済学』で第41回サントリー学芸賞受賞。近著に『子育て支援の経済学』。
[日本経済新聞朝刊2021年10月4日付]
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。