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日経 X woman

『早く絶版になってほしい #駄言辞典』(日経BP)。この本で参考文献として紹介した『女性差別はどう作られてきたか』(集英社)の著者、北海学園大学名誉教授で政治学者の中村敏子さんに、日本に伝統的にあった「家」と明治政府がつくった「家制度」の違いや、それ以後、日本で性別役割分業がどのように形成、維持されてきたのかを聞きました。

日本の伝統的な「家」では夫婦はほぼ平等な立場で協働していた

中村敏子さん(以下、中村さん) 「家制度」は1898年(明治31年)民法によってつくられましたが、ここで第一に注意すべきは、「家」と「家制度」は違うということです。日本には「家制度」がつくられる前から「家」という組織がありました。

今ある議論の混乱の背景の一つは、日本において平安時代ぐらいからある「家」と、明治政府のもとで民法によってつくられた「家制度」を、同じもの、かつ、連続しているものだと考えてしまうことです。

では、「家」とは何でしょうか。

「家」を一言でいえば「生活するための集団」です。家族を中心にして、使用人なども含め、生活を成り立たせるために皆で働いていく組織です。今の中小企業みたいなかたちだと思えば分かりやすいでしょう。共に働き、生活し、それを次世代につなげていくというのが、家の重要な目的だったわけです。

このようにして皆で一緒に働く状況の中で、夫婦関係はどうあったかというと、いわば社長と副社長のように、両者が家のために協働する関係でした。つまり、抑圧的な関係ではなかったわけです。夫婦の立場の高さに少しは差があったかもしれませんが、夫の役割、妻の役割は分かれていて、それぞれがしっかり働かなければ家全体が成り立たなかった。これが日本の伝統的な「家」の姿です。

「家」に、中国と西洋の考え方をかぶせたものが「家制度」

中村さん ところが、明治国家の明治民法に基づいた「家制度」を説明しようとすると話が込み入っていきます。日本に伝統的に存在していた「家」の上に、中国的な考え方と西洋的な考え方をかぶせてつくられたもの。それが「家制度」です。

明治政府は、日本で男女が協働する関係で生活のために運営していた組織である「家」を、「男性が偉い」というかたち(「家父長制」)にしようとしました。これは「天皇が偉い」ということとパラレル(並列的)でした。

中国における「家父長制」は「父親が偉い」という考え方で、家族が父親から息子へと代々つながっていくことを基本とします。

一方、西洋の考え方の基盤となっているキリスト教においては、「夫婦は一体である」と考えます。夫婦が一体であるなら平等かと思いきや、そうではありません。一体である中で、どちらかが意思決定をしなくてはならず、その意思決定者は絶対に男性であるとされました。つまり西洋では「夫が偉い」とされるのです。だから妻も夫の姓を名乗らなければいけない。つまり「夫婦同姓」です。夫婦同姓は、もとは西洋的な考え方なのです。夫はすべてを決定でき、妻の財産もすべて夫が管理する。これが西洋的な夫婦関係の在り方です。

このように、中国的な考え方では「男性が父として偉い」。西洋的な考え方では「男性が夫として偉い」。いずれにせよ「男女の間では男が上である」という家父長制の考え方だった。この2つの系統の考え方を、明治政府は受け入れようとしました。復古とは、武家支配の前の律令制(律令を基本法とする古代日本の中央集権的政治制度およびそれに基づく政治体制)に戻ることですから、中国的な制度を取り入れることになります。同時に、新しく西洋的な考え方も取り入れたわけです。それが従来の「家」の上にかぶさりました。

こうして明治政府は「男が偉い」という「家父長制」をつくろうとしましたが、「家」は生活のための組織ですから、実態はすぐには変わりませんでした。しかしながら、そうした考えが政府から押しつけられた頃に、徐々に社会的な変化が起きてきました。その変化は大きく分けて2つあります。

明治時代以降、家の中でも外でも「男が偉い」という考え方が浸透していった(写真はイメージ=PIXTA)

明治時代以降、家の中でも外でも「男が偉い」という考え方が浸透していった(写真はイメージ=PIXTA)

男性の社会的活動を重視した

中村さん 1つは「社会の変化」です。男女の関係性において、重要な変化が起きました。まず、国家が権利や義務を男性にだけ与えて、男性だけを「一人前の国民」として認めるようになりました。最も重要なのは「選挙権」です。これにより、「国家を担っていく一人前の人間は男性だけである」という考え方が出てきました。

また、法律とは関係なく、経済・産業の発展によって「生産」の仕方も変化しました。それまでは主に生産は「家」で行われていましたが、この機能が工場や会社に移りました。「家」における男女協働が、男性が職場に行き、女性が家に残るという性別役割分業に移行したのです。

つまり、国家による「一人前の国民は男性だけだ」という考え方と、仕事による「仕事をする男性のほうが重要だ」という考え方が合わさって、男性の社会的活動のほうが(女性の家庭における活動よりも)重要だと考えるようになったのです。

西洋でも同じような状況が起こりました。これをフェミニズムでは「『公的領域』と『私的領域』の分離」と言います。男性が担う公的領域のほうが重要で、女性が担う私的領域はあまり重要ではないという位置付けです。

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