あの座布団、軽そうに見えて1枚3キログラム以上。「山田くん、全部持っていきなさい」。言われて7、8枚も持つと大変な重さだ。ぎっくり腰を何度もやった。そんなわけで、日ごろからジムでバーベルを上げている。
古株、初出演は14歳
実は私、笑点出演歴は桂歌丸師匠、林家木久扇師匠に次いで現メンバーの中で3番目に古い。初出演は1970年、14歳の時の「ちびっ子大喜利」。10歳の時、飛び入り参加した「日清ちびっこのどじまん」での優勝がきっかけで、ドラマやバラエティーに出演するようになった。落語好きの私がある番組で「寿限無」を披露したのを見た放送作家さんが、ちびっ子大喜利を企画したのだ。
そこで座布団を10枚ためた私のお願いは、レコードを出すこと。こうして、ちびっ子大喜利メンバーは「ずうとるび」としてデビューした。大変な人気だった。笑点の収録に若い女の子が殺到して、年配の方が入れない。そこで収録を2部構成にして、ずうとるびの出番が終わったらお客さんを入れ替えていた。NHK紅白歌合戦にも出た。
私はその後、ずうとるびを脱退。仕事もなくなり、離婚も経験してどん底まで落ちた。そんな頃、笑点のプロデューサーから電話があった。
「大喜利の座布団運びをやってみないか?」。前任の松崎真さんのように、これまでは体が大きい人に座布団を運んでもらっていたが、小さいやつに運ばせたら面白いのではないかと私を思い出してくれたという。本当にありがたかった。
始めの頃、一番きつかったのが冒頭の挨拶。天気や最近のニュースでネタを考えていくが、座布団運びの挨拶は最後。うけそうなネタは大体言われてしまう。しどろもどろで「……暑いですね」としか言えず白けさせたこともあった。
私はもともと歌手。メンバーは話術のプロだ。同じようにできるわけがない……。1年ほど悩んだ頃、お会いしたのが鈴々舎馬風師匠。「うちの一門に入って落語を勉強しなよ!」。そう言って頂き、鈴々舎鈴丸という高座名をもらった。馬風師匠の一番弟子、馬桜師匠に鍛えてもらい、実際に高座で落語をやった。