ガンダム35周年 巨大ロボットの枷があればこそ「生みの親」富野由悠季氏語る

1作目の初回放送時の視聴率は平均1桁と決して高くなかった。だが、雑誌やアニメファンの間で徐々に評価が高まり、81年の再放送時は初回から視聴率は2桁をこえた。同年に公開した劇場版もヒット。テレビアニメはシリーズ化し、関連商品や流行語も誕生、ブームは社会現象と化していく。その一方で富野は自身の将来のビジョンを見失っていたという。
主役のアムロ(C)創通・サンライズ

(93~94年に放送された「Vガンダム」などのシリーズ作品を作っていた時期は)どうやって、何をして生きていけばいいのかわからなくなり、40~50代は鬱状態で過ごした。

文化とは何か、自分は何をなすべきか考えた末、60代に入って、月刊誌「ガンダムエース」(KADOKAWA)で対談を始めた。(宇宙飛行士や歴史学者、ホスピスの医師、住職、アスリートなど)文系・理系を問わず毎月、いろいろな人に会った。人に会うからには、その前に調べものをする。これを10年ほど続けたころ、その積み重ねによってようやく「文化」の意味が分かってきたように思えた。

皆さん、私がガンダムを作ったからこそ会って下さった。また近年は、ガンダムを見て育った「ガンダム世代」が各分野でオピニオンリーダーになっており、そうした方の話を聞くと、皆さん内容をよく理解してくれていると感じる。「映画を作りたい」と願った自分の思いは、伝わっていたのだと分かった。

「機動戦士ガンダム」はおそらく、「ロボットもの」という枷があったからこそ、多くの人に支持されるアニメになったのだろう。

最近は海外とのプロジェクトも進んでいる。

「アバター」「パシフィック・リム」などの特殊メーク等を手掛けたハリウッドのLegacy Effectsという制作会社が、「トミノのコンテンツなら、ハリウッドで映画にできるよ」と言ってくれた。この会社と、(日本のプロデューサーやクリエーターで組織する)「オオカゼノオコルサマ」との業務提携によって、私の新作を製作するプロジェクトが進行中だ。

こうした海外からの声や、日本のファン、世間から、これから死ぬまで元気で創作をしていくベース、力をいただけた。本音を言えば今でも「ロボットもの」は嫌いだが、ロボットものであっても恥ずかしくない作品が作れると今は思える。

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