私は医療プロレスラー AED普及へリングで格闘医師 浅井富成

CTスキャンスライスチョップ! ジギタール(直腸診)フィンガーデスロック! AEDドロップキック! 前立腺卍固め!

「AEDマン」にふんした筆者の浅井富成氏(医師)

私は医師にして、日本でただ一人の“メディカル(医療)プロレスラー”、ドクター浅井。宿敵メタボブラザーズとの試合中にしばしば心肺停止に陥るが、自動体外式除細動器(AED)により復活し、再びメタボブラザーズに立ち向かう。AEDの普及を目指し、リングで戦っている。

50歳目前でレスラーに

子供の頃からプロレス好きで、アントニオ猪木さんに憧れていた。テレビの中継を見て手に汗握り、学校の休み時間にはクラスメートとプロレスごっこに明け暮れる。大学では仲間を集め、学生プロレスを始めた。ウルティモ・ドラゴンなど、本当にプロレスラーになった後輩もいる。

素顔の筆者(浅井富成氏)

医師になってからも、プロレスへの思いを断ち切れずにいた。そんな時、たまたま私の病院の担当になった製薬会社のMR(医薬情報担当者)さんが、プロレス界に詳しい鹿児島の医師の先生を紹介してくれた。その先生にプロレスへの思いを話すと、近々、関係している大会があるという。「じゃあ、出てみる?」

こうして2008年、私は50歳を目前にして、みちのくプロレスの鹿児島大会で初めてプロのリングに上がった。当時のリングネームは「アンモニア猪木」。研修医の頃から、医療知識、医療器具をプロレス技と組み合わせることができそうだと思っていて、ファイバースコープを使ったファイバースコーピオンデスロックなどの技を披露した。ひんしゅくを買うのではと心配していたが、大いにうけた。

得意技の「ジギタール(直腸診)フィンガーデスロック」を決める筆者

翌年、私が所属する名古屋市守山区医師会のAED講習会があった。医師会長から、余興としてプロレスをやってくれないかと頼まれ快諾。試合中に私が倒れ、AEDで復活するというシナリオでプロレスをしたところ、参加した医師の先生方や看護師の皆さんから絶賛された。これで自信を深め、AEDの普及を目指してやっていこうと心を決めた。

試合中に女の子がAEDで私を蘇生

様々なところから声がかかるようになり、自分でも大会を企画するように。リングに上るのは毎年1、2回。そんな中でプロレスラーの方々とも交流させて頂くようになった。小橋建太さん、神取忍さん、ジャガー横田さん――。試合中の死亡事故をなくすためにもAEDの普及は重要だ。共感してくれる方は多い。

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