松井証券が草分けとなったネット証券の10年間を振り返ると、前半5年は、従来型の対面営業をする大手証券とネット証券の競争だった。予想以上のスピードでネット取引が普及すると、参入障壁の低さゆえに次々と新規参入があり、必然的にネット証券同士の手数料競争になった。これが後半5年だ。私は10年前、手数料自由化とインターネット普及という二つの大きな波を利用してイノベーションを起こしたつもりだったが、何のことはない、それがアッという間にコモディティー化してしまった。仕組みのかなりのものは松井独自で考えたものだったが、パテントを取らずに公開してしまった。でも、公開したからこそ、予想をはるかに上回るスピードで普及したのだから、文句は言えない。

海運の悪夢がもう一度

ライブドア・ショックが前半・後半の境目だった。ちょうどその頃に誕生した新たな投資家であるデイトレーダーの争奪が後半の主戦場となった。デイトレーダーは人数的にはニッチであっても、売買金額ベースでは兆円単位であるから、決して小さくない。唯一の差別化要因は手数料の価格だけだった。

松井証券は手数料引き下げ競争に距離を置いた結果、デイトレーダーをあまり取り込めず、売買代金ベースでのシェアを大きく落としてしまった。私が手数料競争の参戦に躊躇(ちゅうちょ)したのには訳がある。日本郵船での経験だ。

30年前に海運業界で繰り広げられた運賃安売り競争のデジャブを見ているようだった。当時、先進海運国に対抗して新興海運国が殴り込みをかけてきた。コンテナ船は在来船より効率的である一方、参入障壁が低かったため、新規参入が相次いだ。結局、世界的な海運大不況となった。先進国の海運企業のほとんど全てが定期船経営で膨大な赤字を垂れ流す一方で、新興国の海運企業も運賃たたき合いの末、消えていった。

イノベーションは参入障壁を崩し、第一幕目は必ず価格の過当競争になる。安さだけを武器にシェア競争をした末に、体力の劣るプレーヤーから脱落し、第一幕は下ろされる。続く第二幕は単純な価格競争ではなく智恵で勝敗が決まる。

松井証券が何をやったか?
  • 外交営業廃止と電話通信営業開始 :  対面営業の否定
1992~94年
  • 株式保護預り手数料廃止 :  業界慣習の否定
1996年
  • 店頭登録株式手数料半額化 :  自由化後の手数料引き下げ宣言
1997年
  • 日本初の本格的インターネット株取引開始 : ネット時代到来を予測
1998年
  • 日本版ビッグバン: 証券業の免許制から登録制移行/手数料自由化
1998~99年
  • 一日定額制手数料体系「ボックスレート」導入: 取引毎の手数料否定
1999年
  • アカウントプロテクション導入:欧米で一般的な預り資産保護の為の民間保険加入(投資家保護基金が充分機能していると考えて2010年にとりやめ)
1999年
  • オンライン証券初のネットFX開始: 個人のFX取引普及を予測
2001年
  • 東京証券取引所第一部直接上場
2001年
  • 無期限信用取引の導入 :  制度信用取引以外の仕組み導入
2003年
  • オンライン証券初のCME上場日経225先物「夜間取引」の取り扱い開始: 夜間取引実現の為の布石
2008年

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