バブルがはじけ、会社の業績は釣瓶(つるべ)落とし。このままでは潰れてしまう。真っ先に頭に浮かんだのが「海運業界の自由化の経験をなぞっていけば、何か道が拓けるかもしれない」。郵船時代に耳にタコができるほど聞かされた言葉がコスト。証券会社の最大のコストは営業コストだ。手数料はどの会社も法定で同じ。売っている商品も同じ。小さな松井証券には野村証券のようなリポートも作れない。ただ顧客に誠意を見せる営業を押し売りするだけ。私は営業を捨てる覚悟を決めた。

外交セールの廃止を打ち出すと、営業部門からは「道夫さんは何を考えているのだ。我々がどれだけ苦労して顧客開拓してきたことか」と突き上げられた。「コールセンターをやってみたい」と言うと、営業マンは1人、2人とお客さんを連れて他の証券会社に移っていった。社外からは「松井さんも変な婿もらって気の毒だね」という声が聞こえてくる。私は一人も社員の首を切ったことはないが、このとき、私は社員から見捨てられた。

会社経営では責任は全部社長が持つ。当たり前の話だ。皆で額を寄せ合って調整して導き出されたものなど社長の決断ではない。やってみなくては分からないことを、やる前に決めるのが社長の決断だ。

外交セールスをやめて、代わりに始めたコールセンターでは、お客さんの電話を受けるだけで、セールスは一切するなと厳命した。「松井証券に電話してください。女性オペレーターはお客様の執事です。余計なことは一切申し上げません」という広告を載せた。バブル崩壊後、他社はみな赤字を垂れ流していたが、松井証券だけはバブルのピークを超える利益を上げるようになった。セールスしない証券会社は評判になり、全国の投資家から電話がどんどんきた。コストが減った上に売り上げが伸びたので、利益はバブルのピークを越えた。1992年ころだった。

「社長にはついていけない」

5年たって、儲(もう)かっていたコールセンターを捨て、インターネットに特化しようと決めた時も、社内で大反対にあった。「今こんなに成功しているのに、なんでわけがわからないインターネットなんてものに賭けるのか」と。インターネットはコールセンターとは比較にならないくらいコストが安いし、証券取引に向いている。「もう決めたんだからやれ」と言ったら、また「ついていけない」と大勢の社員が辞めていった。私は都合2回、社員から捨てられた。よく精神のバランスを保てたものだと思う。若かったからできたことだろうが、一番の支えは執念だった。

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