沖縄県民の「ソウルフード」ともいわれる「沖縄そば」。観光客にも人気の一品だ。ただ、東京などで一般的な「ざるそば」「かけそば」とは異なり、麺は黄色くて食感も独特。それもそのはず、そば粉を一切使っていないからだ。そば粉ゼロでも「そば」と名乗る沖縄そばの歩みをたどると、沖縄の風土や食文化の歴史が見えてくる。
地元の人だけでなく観光客にも人気の「那覇そば」。「那覇亭」の看板メニューだ(那覇市)沖縄そばは県民に広く愛されている。「那覇そば那覇亭」(那覇市)の仲村陸子さんによると「常連さんは週3回とか、1日2回とか食べに来る」。沖縄そばの定食を注文した男性(25)は「食べやすく、飽きがこない」と話す。昨日も2食は沖縄そばだったという。
沖縄で「そば」といえば「沖縄そば」のことだ。そば粉を使ったそばは「日本そば」や「黒いそば」と呼ぶ。現在の消費量は県内を中心に、1日当たり15万~20万食といわれる。
沖縄そばは小麦粉をかんすいなどで引き締めており、麺に弾力がある。「すする」のではなく「かんで食べる」麺で、だしは豚骨とかつお節が主流だ。
その沖縄そばは450~500年ほど前に中国から伝わったとされる。その後、琉球王国の宮廷料理として確立され、明治時代になると一般の人も食べるようになったそうだ。この頃から「そば」として沖縄そばを提供する店が現れ始めたといわれる。
沖縄そばが人気の理由は何か。沖縄調理師専門学校(那覇市)の安次富順子校長に尋ねると、「暑い地域では、体が油っ気を求める。油の熱量が体に元気をくれる」と話す。また「沖縄の食はチャンプルーに代表されるように、もともと油脂を好む文化」と指摘。「油っぽい豚だしに淡泊なかつおだしを混ぜることで、うま味の相乗効果が生まれる」「そのスープが麺とよく調和している」と解説してくれた。
そんな「沖縄そば」が危機を迎えたのは1976年のことだった。沖縄の日本復帰から4年後、沖縄生麺協同組合に本土からクレームがついた。公正取引委員会から「そば粉が使われていないものを『そば』と称するのはふさわしくない」との指摘だった。確かに「生めん類の表示に関する公正競争規約」で、「そば」は「そば粉が30%以上使われているもの」などと定義されている。
沖縄そばの具材の例
○三枚肉 |
砂糖醤油(じょうゆ)でじっくり煮込んだ豚のバラ肉 |
○ソーキ |
甘辛く煮付けた豚の骨付きあばら肉。軟骨を含んだ「軟骨ソーキ」と、硬い骨の付いた「本ソーキ」がある |
○テビチ |
煮込んだ豚足。コラーゲンが豊富 |
○かまぼこ |
油で揚げたものが多く、種類は様々 |
○紅ショウガ |
スープの味を引き締める。乗せ放題の店も |
○ねぎ |
薬味として欠かせず。香りを重視 |
○ゆし豆腐 |
やわらかいおぼろ状の豆腐 |
○フーチバー(ヨモギ) |
独特のさわやかな香りが特徴 |
沖縄の食文化が否定されるという危機感を抱いた組合は、勧告撤回を求めて立ち上がった。
国との協議の様子について、組合の当時の理事長だった土肥健一最高顧問(サン食品社長)に聞くと、十数回も上京して折衝を重ねたが、担当の若手官僚との話し合いではらちが明かなかったという。「そもそも本土の人は沖縄そばを知らないんですよ」
何とか約束を取り付けた上司の課長との面談は土曜の午前11時40分から。当時の土曜は「半ドン」で午後は休み。「羽田空港から那覇まで半ば無理やり」(土肥最高顧問)飛行機に乗せて課長を連れてきた。市内の食堂を10軒ほど回り、「沖縄そばがいかに根付いているかをアピールした」。
現状はある程度理解してもらえたが、次は「沖縄そばが地域の歴史的な食文化である」ことを証明する必要があった。過去の新聞や雑誌、書物を調べ上げた。沖縄そばの起源として、琉球国王の死を悼んで中国の使者が「粉湯」を供えたと記した文献も北京で見つけ、説得力ある資料をそろえることができた。
「那覇亭」の「那覇そば」には本ソーキ、軟骨ソーキ、三枚肉が入っている(那覇市)1978年10月17日、公正競争規約の特産品の名称を認める規則の中で「本場沖縄そば」が認められた。「名産」「特産」「本場」といった表示を付けた名称は当該地で製造して伝統的な特徴を備え、一定の基準を満たせば可能という規定がある。その基準に沿ったものだった。2006年には地域団体商標として「沖縄そば」が登録された。
本土での知名度が高まった沖縄そばは「観光資源としても大きな誘客力を持つ」(宮島潤一JTB沖縄社長)。逆に名称に「沖縄」が付くだけに、おいしくないとの印象をもたれれば「沖縄」のイメージ悪化にもつながりかねない。観光が基幹産業となっている沖縄では、「沖縄そば」の責任は軽くはない。
(那覇支局長 星睦夫)
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