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「太陽の塔」はなぜ残った 大阪万博の謎

2011/7/7

取り壊された大阪万博の建物・施設・作品
万博閉幕後
~1971年春
アメリカ館、ソ連館、日立グループ館、
三菱未来館などほとんどの建物
1976年12月日本館
78年7月太陽の塔の周りにあった大屋根、
母の塔、お祭り広場
91年度青春の塔(エキスポランドに移設)
2003年3月エキスポタワー
05年3月旧国立国際美術館、万国博ホール
08年7月ダイダラザウルス(ジェットコースター)

もっとも、開幕前から残すことが決まっていたパビリオンはあった。日本館、万国博ホール、万国博美術館(旧国立国際美術館)、日本庭園、日本民芸館、日本鉄鋼連盟が建設した鉄鋼館だ。ところが、太陽の塔は含まれておらず、「保留状態」だったという。

72年7月、太陽の塔の存続に最大のピンチが訪れる。日本万国博覧会記念協会(日本万国博覧会協会が特殊法人に改組)が記念公園第1次整備計画で、76年度の撤去を盛り込んだのだ。しかし、75年1月に同協会は一転して存続を打ち出している。

方針変更の背景に何があったのか。それを示す議事録が万博機構に残されていた。74年12月の第2回万国博施設処理委員会のもので、岡本太郎はこう発言している。

「作る段階では永遠に残すなど、みじんも考えなかったが、できてしまうと自分から離れ、みんなのものになった」

「田舎のじいさん、ばあさんが太陽の塔を見て、命を質に置いて生きていてよかったと言っていた。日本人のものになったんだなと思い、非常にうれしかった。外国人は自分の国の館を一番目に上げ、その後は太陽の塔を必ず上げている。外国人にも印象に残っている」

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