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大澤壽人、再評価の機運 自筆譜・書簡の研究進み、演奏会も開催 オムニス関西

2010/3/8 日本経済新聞 電子版

戦前から戦後にかけて活動した関西出身の作曲家、大澤壽人(おおさわ・ひさと)に光が当たり始めた。生前の自筆譜や書簡などを所蔵する神戸女学院で研究が進み、大澤の作品ばかりを集めた演奏会が大阪で開かれる。洒脱(しゃだつ)と評される作品群が、半世紀の眠りから覚めようとしている。

大阪のザ・フェニックスホール

演奏会(3日、大阪のザ・フェニックスホール)は「大澤壽人スペクタクル」と題し、ピアノ伴奏版の「トランペット協奏曲」、ソプラノ独唱付き女声合唱曲「つばめに託して母の歌える」ほか歌曲などで構成する。「Chanty」など歌曲のいくつかは日本初演となる。トランペットの神代修、ピアノの徳永洋明のほか、神戸女学院大学音楽学部卒業生の歌手・奏者が出演する。

「『トランペット協奏曲』という作品自体が大澤の特徴を物語っている」。そう語るのは、神戸女学院で「大澤壽人遺作コレクション」の目録作りや管理を担当する生島美紀子・神戸女学院大学非常勤講師だ。

大学が資料整理

バイオリンやピアノなどの協奏曲に比べ、トランペット協奏曲を手掛ける作曲家はなぜか多くない。そればかりでない。大澤はクラシック界ではトランペット以上に珍しいサクソホンやコントラバスの協奏曲も残している。「大澤は意外性のある楽器を主役に据えることで、常識に挑戦しようとしたのでは」(生島氏)という。

また音楽評論家の小石忠男氏は「大澤は戦後、草創期の民間放送局専属の作編曲家のようになり、毎週締め切りに追われた。小説家でいえば流行作家のような多忙さを送った」と語る。大澤の死去後、遺族が約1万枚の自筆譜や、演奏会プログラム・ポスター、指揮棒、創作ノートのほか、手紙、日記、写真、旅行用革製トランク、ラジオ放送の録音テープを保管した。散逸を免れたものの、いわば封印された形となり、研究者の目から遠ざかった。病気のため50歳に満たずに亡くなったことに加え、譜面として出版された作品が少なかったことも影響したようだ。

これらが2006年、大澤が戦前から晩年まで教えていた神戸女学院に寄贈された。女学院では生島氏を筆頭に、7人がかりで資料整理に取り組んだ。大澤の戸籍にもあたり、通説だった生年が1907年より1年前であったことを確認した。「おおざわ」「ozawa」「大沢」「寿人」など、複数あった表記の乱れも統一。2007年には「煌(きらめ)きの軌跡」と題した作品資料目録を刊行した。当初80曲弱とみられていた作品数も、その約10倍はあることが明らかになってきた。

米仏留学の影響

大澤の真骨頂を、洒脱さにあるとみる人は多い。交響曲、協奏曲、室内楽曲などの本格的なジャンルに限らない。ブギ、サンバ、ルンバ、タンゴ、クイック、ジャズ……。20世紀商業音楽のこれらが、大澤の作品名に登場する。それから書法の豊かさ、芸域の広さ、語り口の柔らかさなどがうかがえる。

また、小石氏は「大澤は米国とフランスに留学したが、その空気が作風にも表れているのではないか」とみる。経済大国へ変貌(へんぼう)を遂げ、わい雑なエネルギーをたぎらせるアメリカ。かたやストラビンスキーやワイルが滞在し、イベール、オネゲル、ミヨーら、先端的作曲家が活躍していたモダニズムの都パリ。大澤は双方から当時の音楽潮流の洗礼を受け、大衆性と芸術性を吸収して独自の作風を生み出したというわけだ。

「大澤壽人スペクタクル」と題した演奏会は、3日が第2弾となる。昨年12月に兵庫県立芸術文化センター(西宮市)で開いた第1弾の公演では、日本初演となったピアノ協奏曲(ボストン大学卒業作品)をはじめ、ピアノ独奏曲、歌曲などが披露された。演奏会と研究の進展から、これまで埋もれていた大澤の再評価機運が一段と高まりそうだ。

◇おおさわ・ひさと…1906年、神戸市生まれ。30年関西学院高等商業学部卒業後に渡米。ボストン大、ニューイングランド音楽院で学ぶ。34年にパリに渡り、ポール・デュカとナディア・ブーランジェに師事。36年に帰国。神戸女学院の教壇に立ち、48年、神戸女学院音楽学部教授に就任。朝日放送専属指揮者などを務め、膨大な作編曲をこなす。53年10月、脳溢血(のういっけつ)で倒れ、死去。

(編集委員 岡松卓也)

[日本経済新聞大阪夕刊オムニス関西3月2日付]

オムニス関西とは 大阪本社発行の夕刊で月曜から金曜まで展開するコーナーの名称です。オムニスはラテン語の「omnis(すべての)」という意味を込めました。暮らしに役立つワザや若者に人気のスポット紹介、歴史に埋もれた事実の発掘まで、表層をなぞっただけでは分からない関西の魅力を伝えます。

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