大阪にもあった清水寺 「舞台」や「滝」京都とそっくり
清水寺は言わずと知れた京都を代表する観光名所だが、実は大阪にも清水寺がある。同じなのは名前だけではない。境内には見晴らしの良い「舞台」があり、情緒豊かな滝が流れ落ちるのも共通するという。大阪の清水寺の歴史を調べた。
大阪市営地下鉄の四天王寺前夕陽ケ丘駅から5分ほど歩く。出入り自由の境内を進むと、一気に視界が開けた。こぢんまりした見晴らし台が西向きに張り出す。足元に住宅街が迫り、その向こうにオフィスビルやマンションなど。左手遠く、小さく見えるのは通天閣だ。欄干には「清水寺 舞台」とのプレートが。
江戸期に「建立」、当時は観光名所
石段を下ると、崖の上から細々と流れ落ちる3条の滝。京都・清水寺で「清水の舞台」と並んで有名な「音羽の滝」を模したと一目で分かる。傍らの説明書きには「玉出の滝」とある。大阪市内で唯一の天然の滝で、水源は近隣の四天王寺という。飲料には適さない、とも。
健代和央住職に聞いた。この清水寺の創建時期は不明だが、中興の祖とされる江戸期の延海阿闍梨(あじゃり)が観音様のお告げを聞き、1640年に京都の清水寺にそっくりの寺院として再建した。その際、京都の清水寺から千手観音を移して本尊としたという。1615年の大坂夏の陣で荒れ果てた境内を整備する目的もあったと伝わる。
「江戸期は付近に高い建物が無く、すぐ近くに海が迫っていました。今以上に見晴らしが良く、大阪で有数の観光名所だったそうです。今でもきれいな夕日が見られますよ」と、健代住職。
さらに詳しく知りたいと、大阪歴史博物館(大阪市中央区)を訪ねた。八木滋学芸員が「それなら当館にいい展示がありますよ」と教えてくれた。9階で江戸期の大坂の様子をジオラマで再現しており「堂島米市」や「天満青物市」などと並んで「新清水寺」を紹介している。
江戸期には新清水寺と呼ばれていたらしい。ジオラマによると、当時の「舞台」は木材を水平と垂直に組んだ「懸造(かけづくり)」だった。現在の京都の清水寺と同じだ。3条の滝の下では落水に打たれる人も描かれている。
「大阪の清水寺は江戸期以降、何度か姿を変えてきたようです」と八木学芸員。江戸期の旅行ガイドと言うべき「摂津名所図会」に記された清水寺は崖の上に舞台が張り出すが屋根はない。明治期の写真では舞台の上にも建物が建つ。現在は舞台だけの鉄筋コンクリート製だ。
「清水寺」名乗る寺、全国に90も
京都の清水寺にも確認してみた。加藤眞吾学芸員は「大阪の清水寺との関わりを示す文献は当寺では見当たりません」とのこと。一方で「大阪の清水寺の伝承も尊重すべきだと考えています」
加藤学芸員によると、全国に「清水寺(きよみずでら・せいすいじ)」と名乗る寺院は90ほどもあるという。「多くは当寺と同じく、清らかな水が湧く場所に由来して創建されたと思われますが、当寺を模して建てられた寺院も多いと聞いています」
記者は生まれも育ちも大阪だが、不覚にも大阪の清水寺のことは知らなかった。京都府よりも数が多いと言われる大阪府の寺院。知られざる名所というべき寺院はまだ多いのではないか。後日、健代住職の言葉通りの美しい夕日を眺めていると、そんなふうに思えてきた。
(大阪・文化担当 田村広済)
[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2012年2月29日付]
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