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大阪と神戸、なぜ南北の道を「筋」と呼ぶのか?

2013/10/27

大阪出身の記者は東西に走る道路を「通(とおり)」、南北を「筋」と呼ぶのは常識と思っていた。だが先日、京都市内を歩くと東西も南北も通だった。全国的には通と筋を使い分ける方が少数のようだが、神戸は大阪同様、通と筋がある。同じ関西の三都で道路の呼び方が違うのはなぜだろう。
京都市平安京創生館の大路・小路で区分けされた平安京の模型(京都市歴史資料館提供)

■平安京、東西南北ではなく幅で区別

まず京都市歴史資料館に向かう。研究員の井上幸治さんは「中世までの京都では道路を通とは言わず『大路(おおじ)』『小路(こうじ)』と呼んでいた」と教えてくれた。井上さんによると、平安京の条坊制という都市計画では大路が幅8丈(約24メートル)、小路が同4丈(約12メートル)ときっちり区画されていた。

「その後、自然発生的に人々が通と呼ぶようになり、江戸時代までに定着したようだ。東西と南北でなく幅で区別していたからでは」と井上さんはみる。古来、縦横の呼び方を分けていなかったから、通に統一されたのだろうか。

続いて大阪市史料調査会を訪ねた。調査員の古川武志さんは南北に広がる上町台地から西へと発展した大阪の歴史が要因だとみる。上町台地の北端には石山本願寺があったが焼失し、豊臣秀吉が大坂城を築いた。大坂城から西へ開発が進み、中央大通など東西に伸びる道と町並みが同時につくられた。長堀通や千日前通も、町と一緒に西へ伸びていったという。


■大阪はまず「通」誕生、後から道つなぐ「筋」発展

「通とは町そのもの。一方、筋はあくまである場所へ向かう道のりであり、通とは別物だった」と古川さん。堺筋、心斎橋筋などは堺や心斎橋へ行く道ということだ。「御堂筋はもともと北御堂と南御堂へ向かう短く細い道だった。御堂筋の北側はかつて淀屋橋へ続く道ということで淀屋橋筋と呼ばれていた」

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