大阪と神戸、なぜ南北の道を「筋」と呼ぶのか?

京都へ戻り、平安京の復元模型が展示されている京都市平安京創生館を訪ねた。案内ボランティアの小室博さんは「古い史料では現在の新町通は町尻小路、町小路、町尻通などの呼び方が混在。市場が立ち並び、人が集まる栄えた町だった」と解説してくれた。

徐々に発展し、新しい道路ができた大阪と違い、すでに区画整備された平安京が1200年間に姿を変えながら、自然発生的に既存の道路の呼び名が定まっていったのが京都といえそうだ。「御池通も神泉苑の池に続くから付いた愛称。由来をたどると大阪の筋に似た例もある」と小室さん。

神戸・居留地では「筋」「通」の呼び方なかった

神戸市立博物館にやってきた。江戸時代までは小村で、大きな道といえば近畿と九州を結ぶ西国街道くらいだった神戸。明治初期に整備された外国人居留地を中心に、国内外から人が集まり発展した。学芸員の田井玲子さんは「居留地も最初は筋や通という呼び方はなかった」と話す。

なぜ筋と通を使い分けるようになったのか。「新しい町並みをつくるに当たり、東西と南北を分ける大阪にならったのでは」と話すのは神戸外国人居留地研究会の高木応光さんだ。名前の由来は「筋については、主要都市を引用し、東から江戸町筋、京町筋、浪花町筋……と付け、中央の京町筋が全体を貫く配置になった」と教えてくれた。

すると大阪とは逆で筋がメーンで、通がサブなのか。「いいえ、やはり神戸の発展も通が中心。東西に伸びる西国街道が古くからあり、居留地も海岸通だけは初めから通が名前についていた」と高木さん。

京都・大阪・神戸、都市の成り立ちに違い

中世までに都市構造がある程度完成していた京都に対し、大阪と神戸は近世以降に発展し、町並みが大きく変わった。新しい都市で筋と通を使い分けるのは道案内にも便利で、合理的だ。道路の呼び方から三都の歴史を捉え直すのも面白いだろう。

(大阪・文化担当 安芸悟)

[日本経済新聞大阪夕刊関西View2013年10月22日付]

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