「清水の舞台から…」 無茶な飛び降り、実は願掛け江戸時代234人、生存率85%

明治5年に禁止令

重要なのが飛び降りの動機。「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなうという民間信仰からです」と坂井さん。「成就院日記」にも、動機として「自分の病気の治癒」「母の眼病」「暇がほしい」などと記されている。決して自殺願望からではなく、あつい信仰心からだったのだ。

◇            ◇

気になったのが若者の比率の高さ。年齢が分かる170人のうち、10、20代で7割以上を占める。若者らしい純粋な気持ちからか、これくらいの高さで死ぬものかという向こう見ずな気持ちからか。最も若いのが12歳で、やはり助かっている。1人で2回飛び降り、2回とも助かった若い女性がいたから、事件数としては235件だ。春信の浮世絵のイメージが重なる。

飛び降りの風習は1872年(明治5年)に京都府が禁止令を出し、次第に沈静化。舞台の周りには防止用の竹矢来が組まれた。清水寺は778年の創建と伝わるが、江戸以前の飛び降りの記録は見当たらない。何度も火災を経験し、現在の舞台は1633年に徳川家光の寄進で完成。願を掛けて飛び降りる民間信仰は、江戸期に最も盛んだったと考えるのが自然だ。

1802~14年に出た十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」では、清水寺を訪れた弥次さんと喜多さんが僧侶から「観音さまに願をかけて舞台より飛び降りる人がいるがけがをしない」と説明を受ける。江戸後期の戯作者、式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」にも「清水の舞台から飛んだと思うて十二文」と、野菜を値切る場面がある。「舞台」の言い回しは江戸後期、すでに広く使われていたようだ。

願を掛け、清水の舞台から飛び降りた人たちは確かにいた。その風習は舞台の圧倒的な存在感とともに、清水寺のイメージとして流布され、文学や美術の題材にもなったのだろう。眼下に京の町並みを眺めると、江戸の濃厚な空気に触れた気がした。

(大阪・文化担当 田村広済)

[日本経済新聞大阪夕刊関西View2013年11月19日付]

今こそ始める学び特集