「清水の舞台から…」 無茶な飛び降り、実は願掛け江戸時代234人、生存率85%

京都観光の定番、清水寺。京の街並みを望む本堂が「清水の舞台」として特に有名で、「清水の舞台から飛び降りる」というのが思い切った決断を意味するのはご存じの通り。なぜこのことわざが広まったのだろうか。由来や時代背景を調べた。

浮世絵に思い巡らす

江戸中期の浮世絵師、鈴木春信の「清水舞台より飛ぶ女」

清水の舞台が気にとまったきっかけは、浮世絵の図録でたまたま見つけた1枚の絵だった。江戸中期の絵師、鈴木春信の「清水舞台より飛ぶ女」だ。傘を両手に女性が宙を舞う非現実的な構図に、思い詰めたかのような表情。振り袖姿だから、きっとまだ若いはず。なぜ、そんな行動に出たのだろう。思いが巡った。

画面には女性以外に満開の桜が描かれるが、清水の舞台は見られない。浮世絵太田記念美術館(東京・渋谷)の学芸員、日野原健司さんによると「当時の江戸では、京都の清水寺といえば桜のイメージが強かったのです」。それにしても、このような浮世絵が描かれるほどだ。現実に飛び降りた人がいたのだろうか。

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清水寺へ向かう。舞台は山の斜面にせり出すように建てられ、先端部は地上から約12メートル。4階建てのビルに相当する。地上から見上げると、整然と組まれた木の柱の迫力もあり、目もくらむような高さに感じる。少し前の若者言葉では「キヨブタ」と略して言ったっけ、などと思い出す。

4階建てビルの高さに相当する「清水の舞台」(京都市東山区の清水寺)

「江戸時代、ここから234人が飛び降りました」。清水寺の学芸員、坂井輝久さんが淡々と話す内容に思わずハッとした。「清水寺成就院日記」という文献に詳しい。成就院は財務や対外交渉を担当した塔頭(たっちゅう)で、その業務日誌というべき史料だ。1990年代に同寺の蔵の床下から偶然発見された。

江戸時代の1694年から1864年のうち、欠落部を除く148年分の記録が残る。成就院は境内の事故を町奉行に報告する義務も負い、飛び降りた人の年齢や性別、居住地、動機などを詳細に調査、記録した。

それによると、全体での死亡者は34人で生存率は約85%。不謹慎だが、意外と亡くならないものだな、と思ってしまった。「当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土でした。今ならこうはいきませんよ」。坂井さんが見透かしたように言う。現在は舞台の下は硬そうな土。木々もまばらだ。