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大阪の「キタ」「ミナミ」、なぜカタカナ表記?

2013/3/16

「今夜はキタへ繰り出すぞ」「ミナミでタコ焼き食べよ」。阪急梅田駅を中心とする「キタ」と南海難波駅周辺の「ミナミ」は、共に大阪を代表する繁華街。しかし、ふと疑問が。なぜ、またいつから、カタカナ表記になったのか。そもそもキタ、ミナミの範囲はどこまでを含むのだろう。地名の歴史をひもといた。

キタ、ミナミはどこを指すか。国土地理院に聞くと「自治体が決めること」と、つれない答え。では大阪市の判断は? 「法的な位置付けや定義はありません」(都市計画課)

観光ガイドブックを製作する大阪観光コンベンション協会によると「十三をキタに含めることもあれば、最近注目される天神橋筋6丁目(天六)をキタとは別に取り上げたりします」と西迫登マーケティング総括部長。人や状況によって範囲が変わる融通むげな地名のようだ。

◇            ◇

2つの街の名前はいつ生まれたのか。大阪市史料調査会を訪ねると、古川武志調査員(日本近現代史)が「江戸時代に遡ります」と教えてくれた。「天下の台所」と呼ばれた大坂の中心は船場や島之内。その北と南に、商人や武士の遊び場として生まれた街が「北の新地(曽根崎新地)」と「南地(南地五花街)」だった。北の新地は「北陽」という別名があったそうだ。

ただし「時代によって範囲が違います」と指摘するのは大阪歴史博物館の船越幹央学芸員(日本近代史)。江戸期の北の新地は現在の北新地とほぼ同じだが、街の発展で梅田や大阪駅周辺を含むようになった。南地も、元は現在の宗右衛門町や櫓町。「現在ミナミといえば、多くが思い浮かべるアメリカ村などは含まれませんでした」

表記も時代とともに変わった。古川さんによれば「北陽、南地では読みにくいため、明治時代に新聞や雑誌で『きた』『みなみ』とルビが振られました」という。後にひらがなだけで表されるようになり、さらにカタカナに転じたとみられる。

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