2011/10/15

耳寄りな話題

だが(1)案と(2)案、つまり大阪駅周辺は繁華街の中心で、私鉄の線路や駅もあり「空き地がありませんでした」(西城教授)。交通渋滞の悪化も懸念されたという。(3)案も周辺に民家が密集し、拡張が難しかった。都心部から約4.5キロあり、離れ過ぎていたのも難点だった。

採用されたのは(4)案。「操車場の一部が用地に利用でき、都心部からも遠くない」とされ、ここに新大阪駅が設置されたという。

大阪には、さらに西へ山陽新幹線を延伸する事情もあった。在来線の大阪駅に新幹線を通すと、コースが大きく曲がり、淀川を2度渡る必要がある。「所要時間の短縮や建設費も、場所選びを大きく左右したはず」と西城教授はみる。

トンネルのはざまに設けられた新神戸駅(神戸市中央区)

では東京や名古屋はどうだったのか。大阪同様、駅周辺は立て込んでいたはずだ。今度は産業考古学が専門の吉備国際大学の小西伸彦准教授に聞いてみた。

「どちらも用地が手当て済みだったんですよ」というのが答えだった。東京駅では、在来線を拡充する用地をあらかじめ確保してあり、それを転用すればよかった。名古屋の場合、「弾丸列車」計画で、在来線の駅の隣接地を戦前に買収してあったという。

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