2012/4/10

歴史博士

京都~大津間に約6万個

「車道・車石研究会」の真田孝男さんが作製したコメを運ぶ牛車と車石の模型(大津市歴史博物館)

こうした研究を行っている「車石・車道研究会」は2003年、歴史に埋もれかけた車石・車道の研究のために発足した。会員は現在60人ほどで、関連の古文書の発掘や現地調査などを行っている。車石そのものも調べた結果、石一つのおよその大きさは縦30センチ、横60センチ、厚さ20~30センチ。京都と大津間約12キロに車石計約6万個を敷いてつないでいたという。石は材質などからみて、大津から山科までの区間が大津市木戸で切り出された木戸石や大津市藤尾奥町で切り出された藤尾石、京都の三条・蹴上付近は比叡山から大文字山にかけての谷間で産出した白川石が用いられた。「重量物だけに、近い産地の石を使ったのでしょう」と久保さん。敷設費用は約一万両を要したとされ、このうち七百五十両を近江の豪商・中井源左衛門が寄付したなどと伝わっているが、資金の出し手はごく一部しか分かっていない。

大津市歴史博物館に展示された東海道、竹田街道、鳥羽街道に敷かれていた車石

こうして整備された車道で運ばれた荷は、主に大津の港に陸揚げされた北国や東海地域からの年貢米。牛車1台に9俵積んで京都に運んだ。一方、京都から大津へ運んだ荷の記録は見あたらず、空荷だったようだ。古文書によると、運送に当たったのは京都と伏見の業者。早朝、京都から大津に向かい、米俵を積んで昼ごろに大津をたち、夕刻に京都へ戻ったという。

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京都周辺に特有の専用道路か