淀川べりの要塞、松平容保の深慮
楠葉台場跡(大阪府枚方市) 古きを歩けば(48)
住宅地の外れに田畑が広がり、農道を住民が行きかう。何の変哲もない風景だが、古絵図を手にあぜ道をたどれば幕末の要塞の姿が浮かび、戊辰戦争の砲声が聞こえてくる。
■勝海舟が築造指揮、内陸部唯一の台場
ここは大阪府枚方市の淀川沿い、楠葉台場跡だ。幕末、日本沿岸に出没する外国船に備え、幕府は各地に西洋式の台場の築造を進めた。外国船が淀川をさかのぼって京へ押し寄せることを恐れた朝廷は、同川沿いにも台場設置を要望。京都守護職だった会津藩主、松平容保が幕府に築造を建白し、勝海舟が指揮を執って慶応元(1865)年、淀川左岸に楠葉、右岸に梶原の両台場が完成した。内陸部に設けられた台場は全国でここだけという。
楠葉台場の設計図が京都府立総合資料館(京都市)に伝わっている。総面積は約3万8000平方メートル。火薬庫や見張り台を備え、外周に土塁と堀が巡っていた。ただし防御機能は京の反対側(川下側)にあたる南面に限られ、この面のみ五稜郭同様の欧州式築城術による稜堡(りょうほ=突出部)を採用して砲台を設置。堀や土塁も、南面は幅約12~16メートルあったが、それ以外は2分の1~3分の1の規模で仕切り程度だったとみられる。
台場の北にあった橋本陣屋を宿舎に福山や宮津、小浜などの藩兵が交代で警備にあたった。台場の隣地および対岸には船番所が設けられ、川を往来する舟に目を光らせた。
梶原台場は明治維新後、開発で消滅。楠葉台場も農地になったが、京阪電鉄が通っている西面を除いて外郭線があぜ道などの地割として良好に残り、全容をうかがうことができる。枚方市教育委員会が発掘したところ「堀や虎口(入り口)、火薬庫など、ほぼ設計図通りの遺構が残っていました」と担当した竹原伸仁さんが教えてくれた。
■真の狙いは攘夷派、長州藩への備え?
設計図を見ると奇妙なことに気付く。北面と南面に入り口が設けられ、京と大坂を結んでいた京街道が台場を縦貫しているのだ。要塞とは人を近寄らせないための施設のはずだが、街道を通る一般の人々が中を行き交っていたことになる。「台場内には番所が設けてありました。容保の本当の狙いは外国船撃退ではなく、尊皇攘夷派志士を京に入れないため、また長州藩への備えとして、京の入り口に陸上の関門を設けることだったのでしょう」。同台場を研究する京都府長岡京市教育委員会の馬部隆弘さんはこうにらむ。
そもそも朝廷が台場設置を要望した当初、諸藩からは「浅瀬の多い淀川を大型蒸気船が航行するのは困難。河岸に台場の必要性は低い」との意見が大勢を占め、立ち消えになりかけたという。だがその後、会津藩が意見をひるがえし、築造が決まった経緯があった。
「転機は文久3(1863)年、等持院(京都市)にあった室町将軍の木像の頭部を尊攘派の志士が『逆賊』として切断し、賀茂川の河原にさらした『足利三代木像梟首(きゅうしゅ)事件』です」と馬部さんは指摘する。この事件で会津藩は尊攘派への融和策を捨て、対決姿勢に転じる。台場築造もその一環で、尊攘派の反発を抑えるために朝廷の要望を隠れみのにした可能性が高いという。容保が朝廷と良好な関係を築いたり、会津や幕府の存在を広く一般にアピールしたりするのにも大いに役立ったのだろう。
■設計図を手に調査、8年前に位置特定
慶応4(1868)年、鳥羽・伏見の合戦の最終局面で楠葉台場が登場する。台場の北にあたる鳥羽・伏見で敗れた幕府軍は、京街道を後退して橋本陣屋に集結。その時、対岸にいた津藩兵が新政府側に寝返り、橋本陣屋や楠葉台場に激しい砲火を浴びせた。「台場から反撃したとされていますが構造上、無理です。幕府軍は台場を離れ、散開して応戦しつつ大阪へ退却したのでは」。馬部さんはこう推察する。防御機能のほとんどない京方面から敵が攻めてくる想定外の事態に、軍事施設としては全く役に立たなかったようだ。
楠葉台場に関する史料は地元にはなく、正確な場所も長らく不明だった。馬部さんは設計図を手に一帯を踏査し、8年前、あぜ道の形から台場跡の位置を特定した。「不自然なL字形の田を見つけ、北面の外郭線と一致するのに気付いて興奮しました」。会津や小浜など全国各地にあった関連史料も丹念に収集し、台場の全体像を解き明かした。
遺跡一帯は区画整理の計画が持ち上がっていたが、保存を訴える馬部さんらの声に応えて文化庁が2年前、「幕末の緊迫した状況を示す貴重な遺跡」として国史跡に指定。2015年春をメドに歴史公園に整備される見通しだ。「まさか全面的に保存されるとは思っていませんでした」。馬部さんは笑みを浮かべる。
(文=編集委員 竹内義治 写真=伊藤航)
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