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歴史博士

ザビエル像が300年間潜んだ大阪の隠れ里 キリシタン遺物史料館(大阪府茨木市) 古きを歩けば(17)

2012/1/31

大正期に隠れキリシタン遺物発見のきっかけになった墓碑(大阪府茨木市のキリシタン遺物史料館)

 大阪北部、茨木市の山あい。小さな棚田が連なる山裾の道を行くと家々の並ぶ一角が現れる。千提寺(せんだいじ)地区。戦国時代から江戸時代にかけ、禁じられる中で信仰を続けたキリスト教徒が住んでいた集落だ。隠れ里という先入観があるせいだろうか。家々は、ひっそりした山中でもとりわけ目立たぬような場所にあるように思えた。

 ■墓碑に発見した「マリア」の名

下音羽地区の高雲寺境内に置かれたキリシタンの墓碑(大阪府茨木市)

 この地はキリシタン大名として知られた高槻城主・高山右近の領地だった。布教を許した織田信長、宣教師を追放し信仰を禁じた豊臣秀吉、禁教令を出し信者を厳しく弾圧した徳川幕府……。権力者に翻弄された山里の民の信仰をうかがわせる遺物や旧跡が点在する。


東家の屋根裏にくくりつけられていた「あけずの櫃(ひつ)」

 千提寺が隠れキリシタンの里だったことが知られたのは大正8年(1919年)2月。地元の元教師が千提寺地区にある雪の積もった丘陵(寺山)で「マリア」と刻まれた墓碑を発見したのがきっかけだった。以後、同地区や北に少し離れた下音羽地区の民家の屋根裏や土蔵などから、キリシタン遺物が次々に見つかった。墓碑は寺山の隣のクルス山(名前の由来不明)や下音羽の曹洞宗の寺・高雲寺からも発見された。

 明治維新でキリスト教禁教が解かれてから40年以上が経過していたが、住民には当時でも発覚への恐怖があったようだ。「知れたらお縄になる」と心配した家もあったという。多くの遺物が見つかった東家は、それらを木製の櫃(ひつ)に入れ、わかりにくい場所にくくり付け、当主だけに伝えてきた。教科書にも載る有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」(重要文化財、神戸市立博物館所蔵)は「あけずの櫃」と呼ばれるこの中にあった。

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