秀吉悩ませた「鳴虎図」 聚楽第の夢の跡報恩寺(京都市) 古きを歩けば(41)

2012/10/30

歴史博士

聚楽第に掛けると鳴動したとの逸話のある鳴虎図(京都市上京区)

関白になった豊臣秀吉が自身の権勢を誇るために京都に造営した政庁兼邸宅が「聚楽第(じゅらくだい)」。その聚楽第の実態はよく分かっていないが、壮大な邸宅だったことは屏風の絵などで今に伝わり、遺構・遺物とされるものは京都市内にいくつかある。報恩寺(京都市上京区)が所蔵する「鳴虎図」は聚楽第に絡んで不思議な逸話とともに語られる絵だ。

吠えていない絵の中の虎

聚楽第の跡を伝える碑

鳴虎図には堂々とした体躯(たいく)の虎が谷川で水を飲む様子が描かれている。背後の松には2羽のカササギ。絵の虎は吠(ほ)えている訳ではないのに、鳴虎図と呼ばれるのは、秀吉がこの絵を気に入って聚楽第に掛けさせたが、絵の中の虎が夜ごと鳴動して眠れないため寺に返したとの伝承があるからだ。

鳴虎図の左上には四明陶●(にんべんに八の下に月、しめいとういつ)の署名。この人物は明時代の中国の画家とされる。鳴虎図は同寺の再興(1501年)を勅旨した後柏原天皇から下賜されたと伝わる。


建築技術の粋を凝らす

発掘された聚楽第跡=4日午後、京都市上京区

逸話でこの絵を秀吉が持ち帰ったとされる聚楽第は、現在の報恩寺から南西約1キロの場所に1587年に完成した。織田信長の後継者として天下統一を目指す秀吉はこの年に九州を平定したが、まだ権威は万全でなく、後陽成天皇の行幸を仰いで威厳を天下に示すために建築技術の粋を凝らして聚楽第を造営したとされる。この年、京都・北野で秀吉が催した大茶会「北野大茶会」は聚楽第の完成記念を兼ねていたとの説もある。