尼崎脱線事故遺族ら 悲しみを飛躍に106人死亡の惨事から9年

乗客106人が死亡、562人が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は25日で9年を迎える。悲しみと向き合いながら、家族のため、自分のため、社会のため……、遺族や負傷者らは未来につなぐ新たな歩みを進めている。
ハーフマラソンに挑戦する若林ミヨさん(大阪市)

暖かな日差しが降り注いだ4月の休日。大阪市内で開かれたハーフマラソン大会に脱線事故で60代の母を失った若林ミヨさん=兵庫県在住=のすがすがしい笑顔があった。鮮やかなエメラルドグリーンのウエア姿で完走、自己記録を1分縮める見事な走りを見せた。

母の「言葉」背中押す

「好奇心旺盛だった母の分も頑張りたい」と父の会社を手伝いながら、ファッションモデルにも挑戦。だが、ここまで活発になれたのは、ほんの数年前からだ。元来おっとりした性格で事故後は深い喪失感に襲われた。そんな彼女を変えたのが、母が手帳の付箋に残した言葉だ。

「困ったことのように思えても、『それは飛躍への大きなチャンス』です」

まるで姉妹のような仲の良い母娘だった。長く専業主婦をしていた母は事故の10年ほど前、父の会社とは別に事務関連の自営業を立ち上げた。ミヨさんは事務員として支え、優しさとたくましさを併せ持つ母が大好きだった。

あの日、ミヨさんの元に舞い込んだ事故を知らせる親戚からの電話。事故のあったJR福知山線は母の通勤経路だった。携帯電話にも出ず、現場に向かっても母の姿は見つからない。3日後、ようやく再会できた場所は遺体安置所の体育館だった。

それ以降、ミヨさんは笑顔をなくした。気持ちがふさぎ、黒い服を着続けた。癒えない苦しみは心的外傷後ストレス障害(PTSD)としてあらわれ、急激に体調が悪化。部屋にこもることもあった。

「もうこんな生活は……」。一歩前に進めない自分へのもどかしさ。そんな時、母が手帳の付箋に記していた言葉をいつも思い出した。

事故当日も母は手帳を身につけており、ミヨさんは遺品として受け取り、この言葉の存在を知った。常に全力投球だった母が自らを鼓舞するために書いたものらしいが、まるで母が事故後の自分を励ましてくれているようにも思えた。

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