豊臣の盛衰刻んだ大仏の梵鐘方広寺(京都市) 古きを歩けば(47)

2013/2/26

「小さいなあ」。高さ4.2メートル、重さ約83トンの梵鐘(ぼんしょう)に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の字を目にした観光客が、思わず声を上げた。豊臣家滅亡を招いたとされる方広寺(京都市)の巨大な鐘と小さな銘文の対比に、時勢の無情が漂う。

方広寺に伝わる、豊臣家滅亡を招いたとされる梵鐘(国重要文化財)=京都市東山区

「東大寺」しのぐ規模で秀吉造立

問題の「国家安康」の銘文は白く囲まれ、何とか読み取ることができる

豊臣秀吉がここ京都・東山に、奈良・東大寺をしのぐ大仏と大仏殿を造立したのは慶長元(1596)年。兵火で東大寺の大仏殿が焼失し、大仏が半壊した29年後のことだ。だが、すぐに慶長伏見地震で秀吉の大仏も大破。秀吉の死後、大仏殿まで失火で焼け落ちた。子の秀頼は慶長17(1612)年に大仏殿を再建し、金銅製の大仏を造立するが、8文字の鐘銘が徳川家康への呪詛(じゅそ)だとされる。これが契機となり、大坂の役で3年後、豊臣家は滅びる。

秀吉・秀頼親子が造立に力を注いだ大仏の名残は、今も周辺に残る。同寺には、国重要文化財となっている国家安康の鐘のほか、大きな風鐸(ふうたく)の破片や大仏の眉間にあった仏像など、秀頼の大仏にまつわる品々が伝わっている。寺の東側では13年前、大仏殿の柱跡や大仏の台座跡が発掘で見つかり、公園「大仏殿跡緑地」として整備された。

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