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今に伝わる経版木6万枚、日本の出版事業の原点 萬福寺・宝蔵院(京都府宇治市) 古きを歩けば(19)

2012/2/21

 印刷するために文字・図画などを彫刻した木版のことを版木というが、その数が約6万枚ともなると、版木の森に迷い込んだような気分だ。京都府宇治市の黄檗宗萬福寺の塔頭(たっちゅう)の一つ、宝蔵院の収蔵庫(鉄筋鉄骨3階建て)には、初代住職の鉄眼(てつげん)が1681年に完成させたお経の版木「鉄眼版一切経版木」(重要文化財)や黄檗宗の典籍の版木などが保管され、いまも収蔵庫の一角でこの版木の一部を使ってお経が刷られている。

黄檗宗萬福寺・宝蔵院の収蔵庫。版木6万枚に囲まれ、摺り師が大般若経を刷り続ける(京都府宇治市)

 「一切経」(正式には大蔵経)とは古代インドの梵語(ぼんご)を訳した漢文の仏典の総称。釈尊の教えを記録した「経蔵」、戒律をまとめた「律蔵」、経と律を解説する「論蔵」の三蔵から成り、鉄眼版のもとにした一切経は全6956巻とされ、大般若経・維摩(ゆいま)経・華厳経などが含まれる。一切経が日本で最初に印刷されたのは慶安元年(1648年)ごろ。天台宗の僧・天海が徳川幕府の支援を受け、木製の活字を使って「天海版大蔵経」を印刷したが、これは少部数にとどまった。鉄眼はより多くの人の手に渡るようにしたいと、版木による印刷を考えたという。

 ■「鉄眼経」完成までに17年間

3階建ての収蔵庫。版木を積む高さ2メートル以上の棚が並ぶ

 鉄眼が一切経の版木作成で、基にしたのは明時代の中国から来日した隠元から譲り受けた経典。京都・宇治に萬福寺を創建した隠元を鉄眼は師と仰ぎ、版木作成の志を伝えると、隠元は所持していた一切経とともに版木の作成や印刷工房の用地として萬福寺境内の寺地を授けた。鉄眼はこの地に工房を構える一方で、版木作成の資金を募って全国を行脚した。宝蔵院の現在の住谷瓜頂(うじょう)住職によると、作成事業の途中に洪水や飢饉(ききん)などの大災害が2度あり、鉄眼は2度とも版木作成のために寄せられた資金を災害の救済事業に振り向けたという。その結果、版木作成はあしかけ17年の事業となり、1681年にようやく「鉄眼版一切経版木」(4万8275枚)を完成させた。

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