145年前に見る「丸腰の安全保障」の教訓

現在でも起こりうる国同士の偶発的な軍事衝突。乏しい情報や丸腰に近い安全保障体制の下では、どんな結末を迎えるのか。さらに、政権移行期の混乱が加わったら……。

■フランス兵を制止した土佐藩士

ひとつの答えが1868年2月の堺事件にある。連座し切腹を命じられた土佐藩士11人の墓は堺市の宝珠院の系列の宝珠学園幼稚園（宿屋町東3）の一角で、180人の園児の歓声に包まれ、移り行く時代を静かに見守る。墓石は砂岩で風化が進んだ部分もあるが、「土佐」「二十五歳」などの文字が読み取れる。幼稚園でも毎年2月には「烈士祭」を実施、園児らが並ぶ墓石に小さな手を合わせているという。

同年1月の鳥羽・伏見の戦い後、堺の警備に任ぜられたのが土佐藩だった。戦い直後の混乱も徐々に収まり、街に日常が戻りつつあった2月15日、堺港に仏艦艇が現れた。水兵らがボートに移って港内で水深の測量を始め、陸路で大坂方面から来船する予定の上司らを迎えようと次々上陸してくる。測量や上陸（遊歩）といった行為は既にその一部が新政府によって諸外国に認められてはいたが、この情報に接していない土佐藩士らがフランス兵らを制止。通訳もおらず、意思疎通もままならないまま発砲に至り、フランス兵11人が死亡した。

■斬首、賠償要求…新政府軍は東征中

「仏人を殺害せし者残らず、仏国海軍兵隊の眼前において首を打斬候事」――。加えて15万ドルもの賠償金の支払い。フランス側の要求は苛烈だった。しかし、新政府軍の主力はすでに徳川方を追い東征中。京都や大坂は丸裸同然だ。しかも、近く行われる諸国公使と明治天皇との謁見（えっけん）を控え、兵庫沖には多数の外国艦船が威容をさらしていた。薩英戦争や下関戦争などで、列強の圧倒的な軍事力を知る新政府は、結局フランス側の要求を丸のみせざるを得なかった。

くじ引きで選ばれるなどした土佐藩士20人の公開での切腹は23日、宝珠院の道1本隔てた南隣の妙国寺であった。1千人以上が押しかけたという。昼には突如雷雨があり、午後4時ごろから切腹は始まったと記録に残る。仏兵らが立ち会う前で、藩士らが次々と切腹し、介錯（かいしゃく）されて行く。眼前に繰り広げられる武士道の「死の哲学」に、仏兵らは11人が終わった時点で中止を要請した。これについて仏側には「死亡した仏兵と同数となった時点で中止を要請することは、あらかじめ決められていた」との記録も残る（大岡昇平「堺港攘夷始末」）。

土佐藩士の埋葬に使う大甕（かめ）は当初20個用意されていたが、結局9個は使われずじまいだった。森鴎外の「堺事件」は、この9個は後日、宝珠院に保管され「生き運様」と信仰の対象となった、と記すが、「今はどこへ行ったかわからない」（園長の新丸和也さん）という。

■歳月を感じさせぬ「遺髪」

一方、切腹の現場となった妙国寺にも烈士の様々な遺品が残り、宝物資料館で一般向けに展示されている。中でも、目を引くのが藩士20人が「遺髪に」と切り落とした毛髪。黒々としたままで風雪を感じさせない。生身の人間が、激動の時代に翻弄され、苦悩したのだという実感が、見るほどに募ってくる。土佐藩の警備隊長だった箕浦猪之吉（享年25）と西村佐平次（同24）が切腹時に使った三方も展示され、血痕が残った姿が痛ましい。

この年の3月、「五箇条の御誓文」が発布、4月に江戸城の無血開城、9月に明治へ改元、10月に江戸を東京と改称……。時代は急速に動いていた。

強烈な"外圧"があったとはいえ、最終的には新政府の命令で切腹した11人。事件から52年後の1920年（大正9年）になって、「国事に殉難した」として、靖国神社にまつられている。

（文=編集委員　毛糠秀樹、写真=尾城徹雄）