神と向き合うやまとの宴
古きを歩けば(50) 春日大社の饗膳(奈良市)
神道では、神に献じた食物(神饌=しんせん)には神気が宿り、祭の後で神前から下げて食べると、神気を体に取り込んで加護を授かるとされる。この食事が直会(なおらい)だ。奈良市の春日大社では本殿での正式参拝後、古儀にちなんだ直会「饗膳(きょうぜん)」を食することができる。
高く盛り付けるウイキョウ飯
饗膳の一つ「中旬の献(こん)」が運ばれてきた。盆に載せられた四角い杉板の上に並ぶのは、豆入りの白蒸し御強(おこわ)、ブリの塩焼きやタイの刺し身、なます、たたきゴボウ。ミカンの隣に丸く固めた小豆あんが添えてある。さぞ甘いのでは、と口にすると意外にも塩味で驚く。さらにタイのすまし汁と丸餅の雑煮、濁り酒も付く。
もう一つ、「愛敬(ういきょう)祝儀膳」という饗膳もある。盆の中央には、円筒形に高く盛り付けられた練り飯。ウイキョウ(セリ科の薬草)が混ぜ込まれ、口に含むと独特の香りと食感がする。周囲を囲むように並ぶ8枚の皿には高野豆腐、長芋と昆布巻き、シイタケ、焼き魚、矢羽根形に刻んだレンコン、粟麩(あわふ)と湯葉、ゴボウのみそあえ、もろみみそを添えたキュウリとクルミ、ユズあんの干し柿巻。ほかに吸い物が付く。
■古式のお供えの要素を凝縮
どれも味付けはあっさり。調理責任者は「素材のうまみを生かしています」と話す。使う食材は実際には神饌とは別に用意するが、品目は神事の際に供えるものだ。
中旬の献は本来、毎年1月7日に行う神事「御祈祷始(ごきとうはじめ)」の直会だ。この神事は明治維新後の混乱で一時中断し明治25(1892)年に復活するが、その際の直会として社務日記にほぼ同じ構成の献立が記録されている。これ以前に中旬の献に関する記録はなく、どうやらこの時に春日大社独特の古式神饌の要素を凝縮した形で献立がつくられ、今も引き継がれているらしいとのことだった。
愛敬祝儀膳はかつて神事の後で、円筒形に固めて供えられていた御強を輪切りにし、ウリの実やウイキョウ、カンゾウの茎で飾って直会にしたといった記録に基づいて考案された献立。8つの皿は、毎年3月13日に行われる勅祭「春日祭」の儀式で供えられる「八種神饌」にちなんでいるそうだ。
同大社で毎年12月に行われる「春日若宮おん祭」について詳細に記した「若宮祭礼図解」(明治3年)にも、直会の絵図がある。見比べるとどちらの膳も、この図解に描かれた直会をよく再現していることがわかる。
■「神様の食事は平和の証し」
中旬の献では、井の字形に組んである刺し身が目を引く。「様々な食物を切り整えて井の字形に組んで高く盛り付け、お供えするのにならったものです。六角や三角に組む神社もあります。日本人の美意識の表れで、それぞれ意匠を凝らしたのでしょう」。岡本彰夫権宮司が教えてくれた。愛敬祝儀膳のウイキョウ飯が高く盛り付けてあるのも同じ意味だ。「高く盛るのは、惜しみなくお供えしているという意味です。平安時代の祝詞にも『机代(つくえしろ)に 置き高成(たかな)して』、つまり机にいっぱい盛り付けて、との表現が登場します。神様にお仕えする精神は昔から変わりません」
現在、他の神社では野菜や果物、魚などを丸のまま、生のまま神前に供えることが多い。生饌(せいせん)といい、手土産として神に持って帰ってもらうものだそうだ。一方、春日大社は熟饌(じゅくせん)といい、多くのものが切りそろえたり調理されたりして、神がその場で食すことができる状態で供えるのが特徴。明治~大正時代、国により神饌の様式が生饌に統一されたが、春日大社をはじめ格式の高い神社は古式のものを残すことが許された経緯があるという。同大社の熟饌は平安初期の「延喜式」にも品目が記載されており、「古い時期の神饌は熟饌でした」と岡本権宮司は指摘する。
「祭のことを昔は『御供(ごく)』と呼びました。お供えこそ神事の中心です」。岡本権宮司はこう話す。「ご飯、魚、菜のもの、菓子(果物)という構成が基本です。海、川、山の旬のものを供えますが、国中と交流があるから取りそろえることができます。すなわち平和の証しなのです」
(文=編集委員 竹内義治、写真=沢井慎也)
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