神代の松葉にちなむ夏の立砂
上賀茂神社(京都市) 古きを歩けば特別編・庭を巡る(3)
上賀茂神社(京都市北区)の二の鳥居をくぐると、「細殿(ほそどの)」と呼ばれる殿舎の前に円すい形に盛られた一対の白い砂山がある。同社で祭神の依代(よりしろ)としている「立砂(たてずな)」だ。起源ははるか昔といい、立砂を語ろうとすれば同社自体の歴史をひもとかねばならなくなる。
■左右対称、子供の背丈ほどに
立砂は大きさも形も左右対称で、左右それぞれ子供の背丈ほどの高さに砂が盛られている。均整のとれた円すい形の造形に目を奪われがちだが、よく見るとそれぞれの頂に松の葉が立ててある。この松の葉が左右の立砂で違いのあることに気がつく人は少ないだろう。実は向かって左は3葉、右は2葉の松の葉が用いられているのだ。「3葉と2葉を用いているのは、陰陽道に基づいて奇数と偶数が合わさることで神の出現を願う意がある」と同社権禰宜(ごんねぎ)の藤木保誠さん。3葉の松の木は珍しいが境内にあるという。
松の木を立てて神迎え
この松の葉を立てるしきたりは神代の昔の出来事にちなむ。伝承によると、同社の祭神、賀茂別雷神(かもわけいかづちかみ)は同社の背後にある「神山(こうやま)」に降臨した。人々は神山に登り、祭祀(さいし)を行っていたが、神を里に迎えて祭祀を営むために、神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをした。そして社殿が建てられたころに松の木は松の葉に代えられ、立てられた場所に砂を大きく盛るようになったとされる。
同社の立砂は細殿の前のものが有名だが、実はほかに2対ある。その場所は本殿の祝詞座(のりとざ)の前と祝詞座の背後だ。いずれも円すい形で、この3対を比べると祝詞座の前、祝詞座の背後、細殿の前の順で大きく盛ってあるという。立砂は砂だけを盛っているものの、円すい形の形状が幸いして存外に雨に強い。それでも、大雨に遭うと形が乱れるため、その都度、神職が整え直している。用いるのは大判の木製コテと境内を流れる「ならの小川」の水。左右共に1人の神職が手掛けるようにしている。「神職の個性によって形が違ってしまうので、1人でないと左右対称にならない」(藤木さん)からで、整え直すのに1時間強~2時間かかるという。
9月9日に「烏相撲」
こうした立砂が重要な位置を占める神事がある。毎年9月9日の重陽の日に、斎王代(さいおうだい)の陪覧のもとで細殿の前で行われる「烏(からす)相撲」だ。この神事は同社の祭神の祖父が不思議な大烏「八咫烏(やたがらす)」になって神武天皇を先導したとの八咫烏伝説と、稲などに不作をもたらす悪霊退治の信仰行事としての相撲などが結びついて行われるようになったもの。児童20人ほどが2組に分かれて奉納相撲をとるが、相撲をとる前に児童は行事に引率されて立砂を3度回るならわしになっている。このならわしのもとについて、藤木さんは「神の依代を回ることで神の力をいただき、相撲に勝てますようにとの願いを込めてでしょう。勝つと豊作が見込めると信じられたようです」と話す。
同社の立砂はある風習の起源になったともされる。地鎮祭や厄払いに砂や塩をまく風習だ。いつのころか同社から砂を持ち帰って土地を清めるためにまく人が現れ、そのうちにけがれを払う力があるとされる塩を砂の代わりに用いる風習も広まったとする見解がある。同社では希望者に立砂を授与しているが、希望者数は着工戸数など経済状況を映して増減があるという。神代の出来事に端を発する立砂だが、その立砂にからんで社会状況を映す事象が起きているのはなんとも面白い。
(文=編集委員 小橋弘之、写真=葛西宇一郎)
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