2012/7/10

小堀遠州も携わった「進化する庭」

左端から望んだ北庭全景。石組みは伏見城から移築された

後藤さんは「石組み名手とうたわれた賢庭(けんてい)が手掛けた伏見城の庭を、徳川家康の命令で、茶人、建築家として知られる小堀遠州が移築した」との、寺に伝わる由来を語る。「伏見城の庭は石組みが豪華だったという記録がある。秀吉は人を驚かせるのが好きで、石組みの豪快さも例のないもの。石庭から緑豊かな庭になったのは遠州が携わった移築の際では」とみる。植栽は年々姿を変えてゆく。「進化する庭というのもこの庭の魅力」というのが後藤さんの持論だ。

現代の庭師も一役、桃山期の作風残す

桃山期の庭を今に残すうえでは、現代の庭師も一役買っている。北庭修復を任されたのは京都市北区で北山造園を営む庭師、北山安夫さん。2005年の愛知万博(愛・地球博)の日本庭園の石組みなどを手掛け、内外で活躍しているが、円徳院北庭の修復は独立後、最初に手掛けた思い出深い仕事だ。

江戸期の茶室で庭を眺めながらお茶をいただくこともできる

当時は庭が荒れ、「最初に訪れた際は石組みが見えないくらい木が生い茂り、どこが北庭か分からず、引き返したくらい」と打ち明ける。状態が良かったころの写真を参考にしたが、試行錯誤の連続。「とにかく400年の歴史をゼロにしないように考えた」と振り返る。現在の倍ほどあった樹木を伐採、流失してやせていた土盛りも新たに土を入れてボリューム感を回復させた。ただし、余計な手は加えず、草木も抜きすぎないよう腐心した。

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