現代に生きる中世荘官の館今西氏屋敷(大阪府豊中市) 古きを歩けば(38)

2012/10/9

屋敷の起源について、発掘調査では13世紀後半の遺構が確認されている。「当初は奈良から通っていたのかもしれません。ただ周囲の悪党(武士)の抵抗があり、荘園をしっかり管理するために、寄進から50年ほどたったころからこの地に定着したようです」。53代当主の今西春禎(ときさだ)さん(76)はこう話す。

明智光秀に味方、目代の実権喪失

かつて屋敷の周囲を囲んでいた土塁の跡とみられる築山状の高まり

応仁の乱以降、周辺の武士による荘園侵犯は激しさを増す。かつての屋敷が物々しい様相を呈すのは、こうした事情があったからだ。今西家は荘園を守るため、有力な氏族と婚姻関係も結んだ。だが16世紀末、明智光秀の娘を妻とした36代春房(ときふさ)が山崎の合戦で明智方についたことから、秀吉に荘園を没収されて目代の実権を失う。近世以降は神主や医者などとして家を継いできた。


屋敷の北東の水田の中にある末社。屋敷の範囲を示すために建てられたとされ、かつては屋敷の四方にあったとみられる

今西家には荘園管理のための田畠取帳(土地台帳)をはじめ、後醍醐天皇の綸旨(りんじ)や戦国武将の書状など、中近世の古文書283点が伝わっている。田畠取帳は古いもので1189年。「平安から鎌倉へ、荘園のあり方が大きく変わる様子がよく分かる重要史料です」と清水さん。徳川光圀が大日本史を編さんする際、ここで史料採集させるなど、その重要性は早くから注目されていたという。

市教委は20年前から総合調査に着手。7回に及ぶ屋敷内外の発掘や、今西家に伝わる古文書の解析などを進め、3年前に国史跡に指定された。

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