中世に荘園経営を担った荘官「目代(もくだい)」の屋敷が、大阪府豊中市に伝わっている。「春日大社 南郷目代 今西氏屋敷」だ。周辺に広がっていた春日大社(奈良市)領の荘園「垂水西牧(にしまき)」の目代だった今西家が今も住み、屋敷内にある「南郷春日神社」を守り続けている。
■春日大社・若宮社殿を移築
ところどころ水田が広がる豊中市郊外の住宅地に、こんもりと樹木が茂り、重々しい門構えの大きな邸宅がある。「中世にさかのぼる荘官屋敷が現存する、日本唯一の例です」。同市教育委員会の清水篤さんが案内してくれた。
現在の母屋は約300年前の建物。神社の社殿は約270年前、春日大社の若宮社殿を移築したものだ。古絵図や発掘成果を基に推定すると、15世紀後半のかつての敷地は216メートル四方におよび、幅9~10メートルの2重の堀に囲われた壮大な規模だったとみられる。堀の内側には土塁を巡らせて守りを固めてあったとみられ、その痕跡が築山状の高まりとなって屋敷内に今も残っている。
垂水西牧は元は藤原氏(近衛家)の荘園で、1183年に春日大社に寄進されたと古文書に記録されている。当時、平氏と関係が深く源頼朝と反目していた近衛家が、荘園を寄進して源氏追討を祈願した、との見方がある。
今西家の伝承によれば、もともとこの地には田原藤太秀郷が春日大神を勧請して始まった社があり、春日大社の社家(神官)だった今西家の先祖が供奉していたという。荘園が春日大社に寄進されて正式に目代となり、「南郷目代」と称した。南郷というのは今西氏屋敷の所在地の地名で、春日大社周辺の地名にちなんだとされる。