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東京ふしぎ探検隊

日本初の万博、大阪ではなく東京で開催予定だった

2013/11/1

勝鬨橋は1940年の万博にあわせて造られた。築地から月島方面を眺めると、高層ビルやマンションが目立つ

2020年の東京五輪開催に沸く臨海部。実は戦前にも国家プロジェクトの開催が決まっていた。万国博覧会だ。1940年(昭和15年)、五輪開催と同年に、晴海と豊洲で開く予定だった。五輪以上に準備は進んだが、日中戦争突入で実現しなかった。1970年(昭和45年)の大阪万博へとつながった「東京万博」とは、どんな内容だったのか。

■晴海・豊洲で「東京万博」

アポロ12号が持ち帰った「月の石」、岡本太郎制作の「太陽の塔」、テーマ曲「世界の国からこんにちは」……。1970年の大阪万博は、1964年(昭和39年)の東京五輪と並ぶ、戦後の日本を代表する一大イベントだった。

大阪万博の名は通称で、正式名称は日本万国博覧会。アジア初の万博だった。実は、同じ名前の万博が、その30年前に予定されていた。場所は東京。実現していたら、大阪万博はなかったかもしれない。

1940年に計画された日本万国博覧会は、正式名称を「紀元2600年記念 日本万国博覧会」という。紀元2600年とは日本書紀に基づく日本建国の年から2600年、神武天皇の即位から2600年という意味だ。

東京都公文書館(東京・世田谷)に万博関連の資料が数多く残っている。中でも万博の主催者である日本万国博覧会協会の会誌「万博」には、計画の進展が事細かに記されている。詳しく見ていこう。

主会場は、当時月島の沖合にできた埋め立て地の4号地と5号地、現在の晴海と豊洲だ。これに6号地(東雲)の一部と台場公園が加わった。横浜の山下公園も会場予定地となった。

万博の会場予定図。建物の配置や出品リストも決まっていた(中央区立京橋図書館提供)

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