西武鉄道、幻の奥多摩開発計画 「第二の箱根に」

奥多摩湖の渇水が計画に水差す 西武幹部「やらなくてよかった」

西武鉄道が運輸省に提出した資料の中に、奥多摩から秩父にかけてのハイキングコースの記載があった。国立公文書館所蔵

秩父の開発は、奥多摩の開発とも関係していた。

西武鉄道が東京都に提出した陳情書には、「秩父三峰地区雲取山並びに倉戸山を結ぶ山岳縦走コースの開発」との記述がある。つまり、奥多摩にある倉戸山から雲取山、三峰山を経由して秩父方面に抜けていく登山ルートを整備する方針だったようだ。奥多摩と秩父を一体的に開発する狙いが透けて見える。

強い意気込みが感じられる構想はなぜ、実現しなかったのか。

公文書を調べていくと、同社は意外にも早い段階で奥多摩の開発構想を取り下げている。湖畔から倉戸山までのケーブルカーの免許が廃止となったのは1964年(昭和39年)。なんと、東京都に対して「第二の箱根に」と訴えた翌年だ。構想が浮上した年から数えると6年後ではあるが、いくら何でも早すぎるのではないか。

撤退の理由について、同社の元常務、長谷部和夫氏は鉄道雑誌でこう語っている。

「世の中が自動車時代になってきたこと、小河内貯水池がしょっちゅう渇水で水がなくなってしまうものですから行楽地としてどうかということなどで断念しました」「結果的には、やらなくてよかったという感じです」(「鉄道ピクトリアル」1992年5月号増刊)

あれだけ詳細に描いた構想のあっけない結末。そして残ったのが秩父の開発だった。

ファミリーパーク、ミューズパーク…… 失敗続きの秩父開発

1971年に開園した「秩父ファミリーパーク」はどうなったのか。あちこち調べたがほとんど資料がない。雑誌や新聞記事などを調べてようやく見つけたのが朝日新聞の記事だ。

朝日新聞埼玉版掲載の「リゾート開発はいま 晩秋の秩父から2 夢の残骸」(1990年11月21日付)という記事によると、ファミリーパークは開園の2年ほど後にひっそりと閉鎖したという。記事によると、西武鉄道は秩父では失敗続きで、ロッジなどいくつかの観光施設が数年で閉鎖したという。

鉄道史に詳しい青山学院大学の高嶋修一准教授は「西武秩父線の建設に多大なコストがかかり、沿線の本格開発まで手が回らなかったのだろう」と推察する。結局、秩父を箱根に、との構想も幻に終わった。

その後、1991年(平成3年)には西武鉄道と埼玉県が共同で開発した「秩父ミューズパーク」が開園し、テニスコートやアイススケート場がオープンする。しかしこちらも赤字続きで経営は苦しく、ついに2006年末、西武グループは施設を秩父市に無償で譲り渡した。

西武鉄道は現在、秩父を舞台にした人気アニメと連携するなど、沿線のPRに力を入れている。地元から西武秩父線存続を求める声が高まるなか、米投資会社サーベラスと西武ホールディングスの攻防は山場を迎えている。(河尻定)

秩父鉄道に乗り入れている西武鉄道の車両。開業当初は資源開発と観光客の誘致が狙いの路線だったが、現在では生活路線の色合いが濃い
西武秩父駅の端に立つと、秩父鉄道の御花畑駅がすぐ近くに見えた。正面奥が秩父鉄道のホーム
秩父市内では、秩父を舞台にした人気アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のキャラクターをよく見かけた

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