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武士や農民が数学で腕比べ 和算文化は江戸の華

2013/9/11

■江戸時代「神社仏閣」は知的格闘技の聖地だった

和算には、現在の数学とは異なる点も多い。その1つに「ゼロ」の扱いがある。

「江戸時代には、ゼロは○(まる)、零(ぜろ)、空(くう)などと表記されていました。しかし、和算では演算をしないので、数式処理としてのゼロが登場することはありませんでした。現在のゼロの概念は、西洋数学の導入によってもたらされたのです」

和算の流行は、日本ならではのユニークな数学文化も生んだ。いわゆる「算額奉納」である。

寒川神社(神奈川県)に奉納された算額
算額の主な形

和算が発達した理由 『算額奉納』の普及
江戸時代には、数学の問題や解法を記した算額を寺社に奉納する、算額奉納が流行した。元来は神仏奉謝の行為だったが、寺社は数学者や愛好家の研究発表や交流の場となり、庶民の数学レベルを向上させるのに役立った。
有力な数学者が全国を回り、最先端の数学を広めた

数学者や数学愛好家は、難問を解くことに成功すると、神社や寺に算額を奉納するようになった。問題が解けたことを神仏に感謝し、自分の業績を世に知らしめたのだ。時には、問題だけを書いた算額を奉納して、ライバルに挑戦状をたたきつけることもあった。数学好きは算額を見て回り、難問に挑戦しては腕を磨いた。数学をこよなく愛する江戸時代の日本人にとって、神社仏閣とは、知的格闘技の聖地でもあったのである。

江戸後期になると、和算ブームは都市から地方へ、上層階級から庶民へと広がっていった。こうした動きに一役買ったのが、山口和などの「遊歴算家(ゆうれきさんか)」である。彼らは全国を旅して回り、行く先々で数学者と問答を行った。村に高名な数学者が訪れたと聞けば、土地の数学好きが列をなして教えを請い、臨時の数学塾が開講された。全国津々浦々を旅する遊歴算家の活躍によって、和算ブームは草の根の広がりを見せていく。

和算が発達した理由 『遊歴算家』の登場
江戸後期に入ると和算ブームは地方や庶民層にも波及。その牽引役となったのが遊歴算家である。彼らは全国を旅し、求めに応じて行く先々で数学を教えた。彼らの活躍により、日本の隅々まで高度な数学が広まっていった。

「江戸時代の日本に空前の和算ブームをもたらしたのは、遺題継承、算額奉納、遊歴算家という3つの要因でした。太平の世の豊かさと、日本人の知的好奇心の強さが、世界に類を見ない和算文化をつくり上げたのです」

関孝和の登場によってピークを迎えた和算も、明治維新とともに活力を失っていく。新政府は欧化政策の一環として、学校教育に西洋数学を採用した。こうして、和算は、時代の表舞台から静かに消えていったのである。

この人に聞きました

佐藤健一さん
和算研究所理事長。1962年、東京理科大学理学部数学科卒業。明治大学中野八王子中学・高校教頭を経て、東京理科大学非常勤講師。日本数学史学会会長も務める。『和算を楽しむ』(ちくまプリマー新書)、『和算で遊ぼう!』(かんき出版)など和算に関する著書多数。

(ライター 吉田燿子、日経おとなのOFF 市川礼子)

[日経おとなのOFF2013年6月号の記事を基に再構成]

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