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武士や農民が数学で腕比べ 和算文化は江戸の華

2013/9/11

■和算が発達した3つの理由

和算書に書かれた遺題の一部

『塵劫記』がもたらしたインパクトは、それだけではない。1641(寛永18)年刊行の『新篇塵劫記』の巻末には、あえて答を付けない12の問題(遺題)が載せられた。吉田は世の人々に向けて、「腕に覚えのある者は、これを解いてみよ」とけしかけたのである。

これをきっかけに、和算文化の真骨頂ともいうべき「遺題継承(いだいけいしょう)」の文化が花開いた。世の数学者は、先人の遺題を解くことで腕を競い、自分もまた新たに遺題を作って後世に託した。この遺題継承によって、和算は実用の域を超え、数学遊戯の様相を呈していく。

この知的エンターテインメントは、在野の理系人材を発奮させ、多くの優れた数学者を世に送り出すこととなった。その頂点に立つのが、「算聖」とうたわれた関孝和である。関孝和は中国の「天元術」を改良し、筆算による代数の計算法、点竄(てんざん)術を確立した。それは、和算が、実用数学から高等数学へと次元上昇を果たしたことを意味していた。関孝和の登場によって、和算は中国の数学を凌駕し、ヨーロッパに比肩するほどの高みに達したのである。

和算が発達した理由 『遺題継承』の流行
遺題継承とは、答えの書かれていない問題(遺題)を和算書に載せ、後世の数学者に解答を呼びかけること。吉田光由の『新篇塵劫記』が最初とされる。各地の数学者は競って遺題に挑戦し、自らも遺題を作成して世に問うた。

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