新路線の整備が着々と進む首都高速道路。歴史をひもとくと、計画したものの実現しなかった路線が数多くあった。丸の内と新宿を地下でつなぐ弾丸道路。錦糸町から中野まで走る内(ない)環状線。一部が実現した晴海線……。その痕跡を探して歩いてみた。
岩本町、飯田橋に内環状線の痕跡
地下鉄秋葉原駅を出ると、目の前にある昭和通りの上を首都高の高架が走っていた。高架沿いを南に進み、神田川を渡ると岩本町の交差点だ。ふだん何気なく通り過ぎていたが、改めて眺めてみると気になる部分があった。高架上の道路が途中で切れているのだ。これはいったい、どういうことか。「首都高速の謎」などの著書があるモータージャーナリストの清水草一さんに聞いた。
「切れているわけではありません。高架上の首都高を走れば分かりますが、非常駐車帯のようになっています。道路の脇に広がる形がちょうどイカのエンペラ(三角形の部分)に似ていることから、『イカの耳』とも呼ばれています」
清水さんによると、「イカの耳」は後から道路を接続することを想定して、建設時に造っておいたものだという。首都高の路線計画の痕跡なのだ。
では岩本町の「イカの耳」にはどんな計画が眠っているのか。調べてみると、それは「内(ない)環状線」という、東京都心部を東西に走る路線計画だった。
「内環状線」は通称「内環(ないかん)」と呼ばれ、東京都心部を走る都心環状線(C1)の北側に位置する道路として計画された。「首都高速道路公団二十年史」によると、1963年(昭和38年)に建設省(当時)の大都市再開発問題懇談会が内環状線の配置を提言するなど、1960年代から計画が浮上していたようだ。
どんなルートだったのか。「二十年史」や「首都高速道路公団三十年史」、そして現場に残る痕跡などからたどってみた。


















