「親のしんどさ」とつながりたい
~ママ世代公募校長奮闘記(13) 山口照美
子育てや教育に関する講演を求められた時、私は自分の過去を話す。
生まれて10カ月で母親が、3歳上の姉を連れて出ていったこと。写真でしか、母親の顔を知らない。それも、一度見たきりで名前もうろ覚えだ。24歳で私を引き取ってくれた継母のこと。子どもたちにも、必要であれば話す。こちらが自己開示することで、自分の辛さを吐き出してくれることがあるからだ。
小学校3年生の春まで、兵庫県宝塚市の庭付き一軒家で私たち4人家族は穏やかに暮らしていた。私は当時、継母が本当の母親だと信じて疑っていなかった。少し厳しいとは感じていたが、美しく、料理上手で社交的な継母は、自慢だった。小2の時、血がつながってないことを知らされた。驚きはしたけれども、日常は今まで通り穏やかに流れていった。
近づきたい、でも、近づけない
「明日、引っ越すから。友だちに言っちゃダメよ」
急に言われた小3のその日から、私たち家族の環境は大きく変わった。父親が経営していた会社が傾き、借金取りから逃れる必要があったのだ。しばらく山奥の旅館に滞在した後、知り合いの一人もいない三重県伊勢市に引っ越した。
新興住宅地にあった一軒家から、二間しかないアパートへ。子どもながらに家計の苦しさはわかった。お金にまつわる夫婦ゲンカが、狭い部屋で響きわたる。寝たふりをするのが辛い。別れる、別れないの話になると、必ず継母は言った。「この子はいらない、妹だけ連れて行く」。あの、優しかった「ママ」の口から。
そして、何かにつけ「アンタはとろい、鈍い」と罵り、失敗すれば殴った。その怒りスイッチはどこにあるのか、日替わりでわからない。昨日は洗濯物を畳んでほめられたかと思えば、今日は畳み方が悪いといって頭をはたかれる。
私は継母に物をねだったり、無邪気に甘えたりできない子どもになっていた。それがまたかわいくないと、遠ざけられる。高校生活で自尊心を取りもどすまで、私はただただ途方に暮れて、身を縮めて日々を送っていた。
愛されたくて、近づきたくて。でもその方法がわからなかった。
高校入学の時、好きでもない被服部に入った。継母の趣味は洋裁だった。洋裁に取り組むことで、仲良くなれるかもしれないと思ったのだ。何でも俊敏にできる継母は、ミシンをろくに扱えない私にイライラし、結局は叱られる原因を増やしただけだった。
今思えば、彼女の冷たい言葉も、平手打ちも、軽いものだったのかもしれない。大人になってから話していると、温度差に驚くことがあった。幼かった私には、重く、苦しく、記憶にこびりついていても。
塾や予備校で勤めていたころ、「親を憎んでいる思春期の子ども」にたくさん会った。腹が立つ、うざい、嫌いなのにその庇護(ひご)の下にいなければならない、もどかしさ。当時の私を見るようだ。大学進学で親元を離れ、ようやく距離を置いて継母を見ることができるようになった。
今は、こうして書くことや話すことも、了解済みだ。
「子持ちと結婚してやっていけるのかと、他人の目がプレッシャーだった。ちゃんと育てなくちゃと、厳しくし過ぎた」……今の私は、継母の焦りがわかる。
「地縁のない子育て」のしんどさ
24歳になった時、私はまだ社会に出たばかりで仕事に夢中だった。自分が産んでもいない子どもを引き取り、見よう見まねで育ててくれた24歳の若い継母の決断を思い、申し訳無く思った。
絵描きになりたかった彼女は、スケッチブックを抱えて大阪に出てきた。私が奪った、彼女のチャンスと可能性を思わずにはいられない。
自分が初めての子どもを産んだ時、2人目を産んで育児に追われている時。また、彼女の抱えていた「しんどさ」を思う。特に、一軒家を手放し、知らない土地に行った後のことを。専業主婦としてママ友とランチやお菓子作りを楽しむ生活が、いきなり「明日の食費」を案じる生活に変わった。
チャップリンは、「人生に必要なものは、想像力と勇気と少しのお金」と言った。どれほど思いやりと勇気があっても、「少しのお金(some money)」が無ければ、人は人に優しくする余裕がなくなる。今のように、ネットで友人たちとつながることもできない。地縁の無い土地に流れ着き、夫は家計を立て直すための仕事に必死で、自分も働かねばならず、子どもは思うように動いてくれない。
もうひとつ、後から聞いて納得したことがある。彼女はこの時期に婦人科系の手術をしており、早く更年期が訪れたそうだ。やがて、自分に更年期が訪れれば、より彼女の当時のしんどさが理解できるかもしれない。年を取るにつれ、あの頃は理不尽にしか思えなかった継母の態度や言葉が分かってくる。
わかるからこそ、一緒に育てていきたい
片づけない5歳の娘に、食べない1歳半の息子に、いら立つ。校長の仕事は、土日がつぶれがちだ。睡眠時間が足りないところに、息子がぜんそく気味で2時間置きに夜泣きする。疲労は怒りのリミッターを低くする。お茶を仕事バッグにこぼした娘を、思わず怒鳴りつけてしまった。
「大人の都合、親の都合で怒ってないか」と保護者に説く立場でありながら、「どの口が言ってるんだ」と自嘲する。体力的、精神的に余裕がある時は「もう、気をつけてよね」で済ませるのに。ふっと、よく言われる「虐待はくり返す」という言葉がよぎる。私は大丈夫、私だけは大丈夫。言い聞かせている時点で、「誰のために親をやっているのか」を見失う。
この文章を読んで、私を校長として不適格だと騒ぐ人がいるリスクは承知で書いた。子どもと接する仕事モードと、家庭モードは別だ。保育園の保護者同士でも、「他人の子は落ち着いて注意できるし、めっちゃ褒められるのになぁ」と話すことがある。児童の気持ちに寄り添うためにも、保護者の気持ちに共感するためにも、あの「しんどかった日々」は必要だったのだと、今は思える。さらに、今の我が家は、夫が一人で子どもを寝かしつける夜も多い。仕事で忙しく子どもが懐かない、扱い方がわからず不器用な育児しかできないゆえに、子どものかんしゃくを持てあます父親の気持ちもわかる。
学校にいるからこそ、我が子にどう接するべきかを考える場面も増えた。
子どもにとって、家庭が安心できる場所になっているか。
親が叱るのはどんな時か、筋が通っているか、子どもに伝わっているか。
怒鳴りたくなったら、深呼吸して10数える。
感情が先走って怒ってしまった時は、ギュッとして「ごめん」という。
自分を素直に好きだと思える子どもは、他人にも優しい。自分に自信が持てるから、チャレンジ精神がある。今、オモチャを片づけないことは、腹立たしい。その衝動を乗り越えて、私も親として成長したい。
一緒に、がんばってみませんか。
同志社大学卒業後、大手進学塾に就職。3年間の校長経験を経て起業、広報代行やセミナー講師、教育関係を中心に執筆を続ける。大阪市の任期付校長公募に合格、2013年4月より大阪市立敷津小学校の校長に着任。著書に『企画のネタ帳』(阪急コミュニケーションズ)『売れる!コピー力養成講座』(筑摩書房)など。ブログ「民間人校長@教育最前線レポート」(http://edurepo.blog.fc2.com/)も執筆中
(構成 日経BP共働きプロジェクト・日経DUAL編集部)
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