戦国武将にとって一流の「教養」を持つことはステータスであり、さまざまな駆け引きに役立つものだった。「歴史を動かした偉人対決」シリーズ2回目は、戦国時代を代表する知性派武将、武田信玄と細川幽斎を取り上げ、対決形式で紹介します。

武将がひねもす合戦に夢中だったかというと、実はそうではない。「智恵」も武将の条件であり、一流の教養は戦や政治の駆け引きにも役立っていた。
「家柄の良い武将ほどエリート教育を受けた時代です」(作家の加来耕三さん)。その代表格が武田信玄だ。8歳から学問を始め「一字を学びて十字を知る」神童だったと『名将言行録』に記されている。「信玄は書画にも長けた真の教養人。智将だったからこそ、あれほどの武功を上げられたのです」(加来さん)。

文学青年だった武田信玄
21歳のころの信玄は今でいう“文学オタク”だった。仮病を使って引きこもり、僧を招いて30日もの間、和歌に没頭したほどだ。意外や、文学青年なのである。実戦では「後途(ごど)の勝ちを肝要とする」ことを重視した。大局を見て行動し、無益な戦闘は避けるという軍略だ。「“戦わずして勝つ”孫子の教えに傾倒した発想です」(加来さん)。