3人の上司に学んだこと
~ママ世代公募校長奮闘記(19) 山口照美
3学期が始まった。教頭先生に「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われた通り、行事や人事関係の業務が多く、飛ぶように毎日が過ぎていく。
先日、新しい公募校長向けの研修講師を務めさせてもらった。1年前の私の不安を、少しでも解消して現場にいってほしい。願いをこめて、本音で話をした。
プロ集団を率いるには?
学校は、職人集団の上に教頭・校長の管理職が乗った「なべぶた型組織」とよく言われる。このようなプロ集団を率いる方法は、大きく分けると2つしかない。
自分が圧倒的な職人として、実践してみせ、尊敬を集めて引っ張っていくか。あるいは「お役に立つ」か。
塾講師や研修講師の経験があるとは言え、担任・教頭経験を持たない私には後者しかない。「お役に立つ」という言葉は、卑屈に思えるかもしれない。それでも、私はあえて言う。「現場のお役に立つ」という意識が無いと、おそらく1年もたない。
どれだけ理想があろうとも、授業に入るのは担任であり、専門業務を行うのは各教職員だ。チームが力を発揮するように、組織作りや後方支援を行い、その成果を保護者や地域に広報する。いつも書いているが「後方支援と広報支援」が、私の任務だと思っている。
それに加えて校長は「規範となる人格・ふるまい」を求められる。威厳も必要だが、年齢が伴わない部分もある。せめて「教育者として逃げない人間」でありたい。敷津小学校の教職員は、それぞれに子ども達を想って動いている。そのリーダーとなる以上は、率先して子ども達を褒め、励まし、子どもと喜怒哀楽を共にしたいと考えている。
最初の上司に学んだこと
塾の新入社員になって、最初についた塾長を思い出す。40代の男性で、穏やかな社会の先生だった。営業よりも授業が大好き。近所の神社でお祭りがあったので、塾帰りの子ども達を案じて巡視に出かけたところ、塾長自身が卵せんべいを片手にはしゃいでいた。細かいスケジュール管理や目標管理は苦手。新人であっても、任せきる。あまりにもほったらかしなので、早く管理職になりたかった私は、勝手に塾内の改善を進めていった。
ただ、彼はいつも、私たちのよりどころだった。
1月末、関西の中学受験は山場を迎える。第一志望の合格発表は、同じ日に集中する。当時は携帯電話がまだ普及しきっておらず、発表を見た親子が塾に直接飛び込んできた。入社2年目で6年の担任をしていた私は、ガラス戸の向こうに現れる子ども達を祈りながら待っていた。
二組の親子が、同時に飛び込んでくる。
両方、同じ志望校だ。
片方が合格、片方が不合格。
国語が苦手で、前受験で不合格だった子が最後の最後に第一志望校に合格した。爆発する喜びと涙を受け止めつつ、もう一組にも声をかけなければならない。戸惑う私の肩を押さえ、社会を担当していた塾長がすっと前に出た。
そして、不合格だった子どもを、抱きしめて外に連れ出した。
表では、なぐさめている様子が見てとれた。やがて、両方の親子が帰った後も塾長は戻ってこない。呼び戻そうとドアを開けると、彼は泣いていた。
「受からせてやりたかった」
絞るような声で、誰にともなくつぶやいていた。その時、私もこんな上司でありたい、ベテランになろうとも、何度受験生を送り出そうとも、子どものために泣けるプロでありたいと、強く思った。
生徒を大事にすると同時に、彼は自分の家族も大事にする人だった。息子の名前をつけてからしばらくして、はっと思い当たった。上司の息子と、同じ名前だった。彼が子どもの話題をよく出していたことが、耳に優しく残っていたのかもしれない。プライベートの話を上司が積極的に話すおかげで、部下である他の職員も子どもの話や、家庭の事情を打ち明けやすかった。
「自分の人生が充実してこそ、いい仕事ができる」
受験業界や公教育を問わず、教育という仕事に滅私奉公を求める人たちは多い。だが、健康や精神の安定があってこそ、いい授業も仕事もできる。この点だけは、どうにか理解してもらいたい。
そしてできれば、教職員それぞれに自分の所属する地域で、学校・保育園や地域活動に参加してほしい。そうすれば、学校に関わってくれる地域の想いや、PTA活動のあり方も違う視点で見られる。「一緒に子ども達を育てている」存在として、つながりを感じられると思う。
「二度と塾に来るな」と言った上司
もう1人、印象的な上司がいる。非常勤講師として、中学受験塾にいた時の塾長だ。受験が終わり、「お祝いの会」が開かれた時のこと。ある若い講師が、子どもたちのウケをさんざん取った後にこう言った。
「卒業してからも、また塾に遊びにおいで!」
担当者のあいさつが一通り終わると、塾長は厳しい顔でこう言い放った。
「二度と、塾に来るな」
はしゃいでいた子どもが静まり、場が凍った。人前で部下に恥をかかせる是非はともかく、私は続けられた言葉に打たれた。
「中学に行ったら、新しい友達ができる。新しい先生に出会える。いつまでも振りかえったり、懐かしんだりしていてはダメだ。もう受験は終わった。教えることはもうない。新しい環境でどんどん成長しろ。止まるな」
教育の究極の目標は、子どもを「もう先生はいらない、大丈夫だから」と自立させること。教えきり、鍛え、自信をつけさせて送り出す。
公教育には、それ以前に、まず子ども達を温かく包む必要がある。それでも、小学校・中学校・高校と「子どもというバトン」をつなぎながら、自立した社会人にさせることが、教育の目標だ。
子ども達との交流の甘い思い出に、浸っていてはいけない。次年度の子ども達に、全力で向かい合え。子どもに向けた言葉の裏には、私たち講師へのメッセージもあったと思う。
キャリアの異なる集団で、いきなりリーダーになる。年齢的にも若い。単なるマネジメントや営業部長としての働きなら、話は別だ。塾長時代は、国語講師として成果を出すことで、部下を納得させていた。今はその手は使えない。
迷いを感じた時は、2人のリーダーが教えてくれたことを思い出す。子どもに寄り添っているか、教職員を大事にしているか、教育の目的を忘れていないか。
そして、トラブルが目の前にやってきた時、チャレンジすべきか躊躇した時には、もう1人、別の上司の声が響く。塾長時代の私を、導いてくれた人だ。クレームや営業目標で悩む私に、よくこの言葉を投げてくれた。
「命まで取られるワケじゃなし」
この言葉を思い出すと、ふっと楽になる。無理難題に見えても、命を取られるほどの問題じゃない。悩むより、少しでも動こう。
3人の上司に導かれた結果、今、リーダーとして仕事をさせてもらっている。教育に限らず、仕事は「人」のつながりでできている。出会いに恵まれたこの1年、よりよい形で締めくくりたい。
卒業式まで、あと47日。
同志社大学卒業後、大手進学塾に就職。3年間の校長経験を経て起業、広報代行やセミナー講師、教育関係を中心に執筆を続ける。大阪市の任期付校長公募に合格、2013年4月より大阪市立敷津小学校の校長に着任。著書に『企画のネタ帳』(阪急コミュニケーションズ)『売れる!コピー力養成講座』(筑摩書房)など。ブログ「民間人校長@教育最前線レポート」(http://edurepo.blog.fc2.com/)も執筆中
(構成 日経DUAL編集部)
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