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東京ふしぎ探検隊

100年来の夢、五輪で結実 東京湾岸で国家イベント 東京ふしぎ地図ツアー

2014/3/8

■東京市庁舎は晴海に移転予定だった 夢の島には国際空港

五輪と万博。2つの国家プロジェクトを湾岸で開こうとした東京市は、自らも臨海部に拠点を移すことを考えていた。

1932年、東京市は当時有楽町(現・東京国際フォーラム)にあった市庁舎を、晴海に移すと決めた。現在、晴海トリトンスクエアがある場所だ。湾岸に乗り込むことで開発を加速させる狙いがあったようだ。

計画は住民の反対や議会の反発で頓挫してしまう。もし実現していたら、その後の東京都庁の新宿への移転はなかったかもしれない。

湾岸ではもう一つ、戦略施設が検討されていた。国際空港だ。

1938年、現在の夢の島に「東京市飛行場」を整備することが正式に決定した。当時としては世界最大規模だった。羽田より都心に近いうえ、羽田空港の拡張には限界があるとみられていたことが影響した。羽田周辺では当時、工場建設が見込まれていたからだ。

計画決定後、夢の島の埋め立て工事が始まった。当時は夢の島という名前ではなく、「江東区南砂町地先」という仮称が与えられていた。

しかし工事は戦争激化で中止となり、戦後、この場所に海水浴場が誕生する。その名前が「夢の島海水浴場」だった。夢の島という名前は、ここからきているのだ。

■都市博は万博の再現狙う

湾岸地区ではその後もイベントが企画された。かつて万博が予定されていた晴海には東京国際見本市会場ができ、1959年から1987年まで東京モーターショーが開かれた。

ツアー一行はバスで湾岸地区を回った

1996年には台場で世界都市博覧会(都市博)の開催が予定されていた。当時の鈴木俊一知事は幻となった1940年万博の再現を目指した、とも伝わっている。

ちなみに鈴木知事は大阪万博の事務総長で、当時も東京での万博開催を主張していたという。東京での博覧会開催は、長年の悲願だった。

東京市や東京都が執念を燃やしてきた湾岸地区でのイベント開催。晴海や豊洲が埋め立てられてほぼ100年を迎える2020年の五輪で、ようやく実を結ぼうとしている。歴史を振り返りながら改めて現場を眺めると、見慣れた風景も違った印象を帯びてくる。

■変わりゆく東京をスケッチ

歴史を巡った今回のツアー。参加者からは「1940年の五輪の話は知っていましたが、万博の話は知りませんでした」「東京は建物のサイクルが短く、街の香りが欧州のように残っていないと思っていましたが、きちんと見ると痕跡が残っていて面白いですね」などの感想があった。

東京ふしぎ探検隊は、今回で80回目。変わりゆく東京の過去・現在・未来を探りながら、これからも歩き続けます。(河尻定)

今回巡った「ふしぎ」スポット
旧万世橋駅→伊勢丹発祥の地→岩本町の「イカの耳」→築地川公園・謎の地下道→勝鬨橋→晴海トリトンスクエア(東京市庁舎移転予定地)→東雲→豊洲→夢の島(東京市飛行場予定地)→若洲海浜公園→東京ゲートブリッジ→中央防波堤→レインボーブリッジ→新橋→銀座番外地
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