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東京ふしぎ探検隊

100年来の夢、五輪で結実 東京湾岸で国家イベント 東京ふしぎ地図ツアー

2014/3/8

■1940年、東京五輪の開催が決定していた

1930年代前半、湾岸では2つのビッグプロジェクトが、時を置かずして立ち上がった。五輪と万博だ。

五輪は1932年、正式に立候補し、1936年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催権を勝ち取った。最後はフィンランド・ヘルシンキとの一騎打ちだったという。

開催が予定されていたのは1940年。紀元2600年の記念事業と位置付けられた。紀元2600年とは日本書紀に基づく日本建国の年、つまり神武天皇の即位から2600年という意味だ。1923年の関東大震災からの復興を世界に示す狙いもあったようだ。

ちなみに当時は冬季五輪も夏季五輪の開催国に優先権があり、1940年2月に札幌での開催が決まっていたという。

このときの東京五輪は当初、湾岸地区での開催を検討していた。東京市(当時)が強く主張したのだ。埋め立てられたばかりの更地で五輪を開催し、都市開発を加速させることをもくろんでいた。場所は7号埋め立て地、今の辰巳周辺だった。

しかしこの案に大日本体育協会などスポーツ界が猛烈に反対した。強風が競技を妨げる、という理由だった。その後、神宮や代々木、青山などの案が検討され、最終的には駒沢に落ち着いた。

主会場が駒沢に決まった3カ月後の1938年7月、政府は五輪開催権を返上した。日中戦争突入と鋼材不足が原因だった。五輪は次点だったヘルシンキで開催することになった。

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