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「『なんてったってアイドル』を歌うのは嫌でした」 小泉今日子 30年の軌跡 日経エンタテインメント!

2012/4/2

■なにもないから戦えた

小泉を評するフレーズのひとつに「自然体」があるが、そのありようはもはや「超然」。この30周年記念についてのエピソード同様、これまでのキャリアについても、その状況や周囲の求めに応じて平静を保ちつつ、フットワーク軽く活動してきただけだという。それは、30年間、常に幅広い分野の第一線で活躍できた秘けつを自己分析する言葉からもうかがえる。

小泉 30年間活動できた理由は、逆に私に飛び抜けた才能がなかったから(笑)。例えば素晴らしい歌唱力があれば音楽の道を突き詰めようと思っただろうし、本当にストイックな役作りができるのであれば女優業に没頭するんでしょうけど、そうじゃないから、どんな仕事もできちゃうんでしょうね。

確かに音楽活動に対する責任感はあります。一緒に青春を過ごしてくれて、今も「新しい曲を聴きたい」と言ってくださるファンの方がいる以上、みなさんの青春に責任を取ろうとは思っている。ただ、自分は何者だ、こんな女優だ、こういう歌い手だって決めてはいないんですよね。だから、進む方向も特に決まっていないんです。

例えば、みなさんがよく私の代表曲に挙げてくださる『なんてったってアイドル』なんて本当に歌うのがイヤでしたから。「またオトナが悪ふざけしてるよ」って(笑)。

ただ、客観的に見て「この曲を歌えるのは私だけだろう」っていう自信はあったし、そういう周囲の期待を感じてはいた。だから歌う。なんかいつもそういう感じなんです。自分が主観と客観の2つに分裂していて、同時にまるで違うことを考えている。そして、その時々に応じて、どちらかの声に答えたり、その真ん中を探ったりする。それは今も変わりませんね。

(写真:加藤康)

■そこに私がいることが大切

この主観と客観のバランスの良さが、小泉をワン&オンリーな存在にしている要因のひとつだ。1980年代にはベリーショートカットという当時の女性アイドルにはない強烈な主観、小泉ならではのスタイルを男女問わず多くの人々に魅力的に提案。1990年前後には近田春夫や藤原ヒロシら名うての音楽家陣とともに、当時一般的ではなかったハウスミュージックをお茶の間に届けることに成功している。

また、1980年代中盤にはJ・D・サリンジャーの1951年発表の小説『ライ麦畑でつかまえて』をラジオ番組で紹介し、ベストセラーになったこともあった。彼女が、最新のムーブメントや独自の美意識を届けるトレンドセッターとしての横顔を持つのはご存じのとおりだ。

小泉 確かに、デビュー当時から「ほら、こっちきてよ。面白いことやってるよ」って人を集めるようなことばかりしていた気はします。

そういうとき、私自身の意識って男の子には向いてないんですよ。だって、普通に考えたら当時の私のファッションって男の子ウケする要素ゼロじゃないですか(笑)。なんか刈り上げとかしちゃって、ミニスカートとかニーハイソックスとか履いちゃって、当時の価値観ではモテるわけがない。でも、女の子たちが面白がってくれて、あのスタイルがオシャレだってことになると、男の子も「ショートカットってかわいいじゃん」ってなるんですよ。いつもそうなんです。まず誰かが私のやっていることを面白がって、ほかの人たちを先導してくれる。

ハウスについても、私がやれば大丈夫かな、という気はしていました。当時はまだ多くの人が聴いたことのない、もしかしたらとっつきにくい音楽だったかもしれないけど、私という存在自体は分かりやすいですから。仕事の現場や遊び場で知り合った近田さんや藤原さんとファンの間に私が入れば、聴いていただけるとは思っていました。だって、私自身「ハウスが好きか?」と聞かれれば、別に好きじゃないですから(笑)。

もちろんカッコいいとは思っていたけど、“ハウスの人”になりたいわけじゃない。言ってしまえば、冷やかし気分だったからこそ、みなさんにとってちょうどいいカッコよさを探れたんでしょうね。

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