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歴史博士

2014/1/3

歴史博士

福禄寿と寿老人は中国・道教がルーツの仙人。この福禄寿と寿老人は南極星の化身として双子とも同一人物ともされ、ややこしい。

「七福神めぐり」普及させたのは家康?

西宮神社に奉納された冷凍マグロにさい銭を張り付ける子どもたち(2013年1月8日午前、共同)

その点布袋は中国・唐の時代に実在した仏僧だという。契此(かいし)という名で、太鼓腹を突き出し常に大きな布の袋を背負っていた。弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身と噂されていたという。最初に日本に入ってきたのは禅画などの画題としてだった。平安期には恵比寿と大黒天とが信仰の対象となり、さらに毘沙門天、弁財天らが加わっていった。「7」神になったのは仏教経典の「七難即滅、七福即生」にちなんだともいう。

「七福神」めぐりが全国に普及したのは江戸時代から。徳川家康が七福神の絵を狩野探幽に宝船に乗った七福神を描かせたという。家康の政治参謀だった天海僧正が七福神信仰を勧めたという逸話が残っている。恵比寿は正直、大黒天は有徳、毘沙門天は威光、弁財天は愛敬、布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を表し敬愛すれば7徳が身に備わるというわけだ。

西宮神社の本殿参拝の一番乗りを競う「開門神事福男選び」で一斉に駆けだす参加者=共同

なぜこれだけ外国の神さまが多いのか。恵比寿さまも異邦人を意味する「夷」とも書かれてきたように七神とも「海」に縁が深い。理由の一つは古代からの漂着物信仰だ。日本人にとって海のかなたは福と富を運んできてくれるものだった。

もう一つは室町時代に発展した貨幣経済だろう。商業が盛んになるにつれ天照大神のような日本神話の神さまや貴族階級の氏神さまではなく、商工業者の信仰の対象が必要になったのだろう。「七福神の謎77」の武光誠・明治学院大教授は「最初は豪商が、武士や旧家が祭る神さまと異なる福の神を自分たちの心のよりどころとして信仰した。すぐさま豪商にあこがれる中流以上の商工民に広がっていった」としている。

兵庫県の西宮神社は恵比寿さまを祭る神社の総本山。毎年1月10日を中心に9日から11日までの3日間行われる「十日えびす」は100万人を超える参拝客でにぎわい、その年の福男を決める行事でも知られている。七福神巡りは不況の時に参拝客が多いという。アベノミクス効果が浸透しつつも消費増税を前にした今年の正月はどうなっているだろうか。

(電子整理部 松本治人)

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