東京駅赤レンガ駅舎が復元、丸の内と八重洲はどうなるクリエイティブディレクター 仲原正治

“経済性重視”の新しいビルを作る八重洲地区

工事中の八重洲口から広場への通路(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
八重洲付近の案内図(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

八重洲の名前の由来は、江戸時代に住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンである。徳川家康の通訳として活躍した人物だ。大正時代までは京橋と丸の内の間には外堀があり、八重洲橋が架けられていて、1914年に東京駅ができたときには外堀が間近なため入り口ができなかった。その後、外堀が埋め立てられ八重洲口ができたのは1929年。八重洲口が現在に近い姿になったのは、鉄道会館と駅前広場が完成した1954年である。

鉄道会館には大丸百貨店が入り、駅前のデパートとしてにぎわっていたが2007年10月30日に閉店。グラントウキョウノースタワーに移転し同年11月6日から営業を再開している。鉄道会館は取り壊され、その場所にはノースタワーとサウスタワー(2007年竣工)を結ぶ4階建てのペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場が整備されている。2013年の春に完成予定だ。鉄道会館の解体によって、海からの風が丸の内側に抜けるようになりヒートアイランド現象を緩和することにつながるとしている。

ヤン・ヨーステン記念像(八重洲通りの中央部分に設置されている)(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
多くのタクシーや高速バス等が発着する八重洲口広場。4階建てのペデストリアンデッキ「グランルーフ」の工事が行われている(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

東京駅の復元に伴い、容積率が上乗せされた土地に超高層ビルはできているが、当初から懸案の八重洲口広場は、現在も交通広場としては不便だ。タクシーは横断歩道を渡って向かい側の道路で拾った方が便利な状況となっている。

丸の内はちょっと歩けば皇居に行き着くため、市街地は少ない。それに比べて、八重洲口は、昔からの町への入り口に位置している。京橋、八丁堀、深川、佃島などの町が海方向に広がっている。そのため、バスの発着やタクシーの利用も多く、駅前広場としての重要性は丸の内よりも高いはずだ。駅前の狭い土地に超高層ビルを次々に建てていく今の手法では、いつまでたっても広場はうまく機能しない。新しくできる駅前広場がどのような効果をもたらすことができるか期待したいところだが、図面を見ると、今よりは広いものの十分な広さとは言えず、3方向からの車の処理は難しいと思われる。

景観的にも、駅の両側に超高層ビルが隣接して建てられているため、ガラスが多用されているが圧迫感はあり、必ずしも良好な状態とは言えない。鉄道会館があった時も駅舎は見えなかったが、今回、グランルーフが4階建てになるため、八重洲通りからは駅舎はほとんど見えない。隣接の鉄鋼ビルなども壊されて新しいビルが建設される予定だが、これも駅前の壁になってしまうのではないかと危惧している。

八重洲通りから見る東京駅、かろうじて右側に東京駅赤煉瓦駅舎のドームの頭頂部が見える(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
八重洲口の有楽町側に立ち並ぶ超高層オフィスビル(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
取り壊しを進めている鉄鋼ビルなど。25階建てのオフィスビルになる(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

「グランルーフ」の完成予想図(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

八重洲地区には、東京駅八重洲口再開発協議会の存在はあるが、まちづくりのマスタープランなど、明確に方向性を打ち出した資料は見当たらない。個々の地権者が経済性を優先する「まちづくり」となっており、計画性が乏しいと言わざるを得ない。

八重洲地区で、どうにか落ち着いて歩けるのは八重洲地下街だ。東京駅の公共駐車場整備の一環として作られた地下街で、1965年に第1期が1969年に第2期が開業し、現在は延べ床面積で、大阪の「クリスタ長堀」に次いで日本で2番目の面積を誇る地下街となっている。開業した時期が古いこともあり、ビジネスマンやOL向けの飲食店や雑貨、衣料などの店が多く集まっていて、なんとなく落ち着く感じがする地下街となっている。

八重洲地下街の案内図(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
八重洲駐車場。516台を収容する(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
八重洲地下街(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)