東京駅赤レンガ駅舎が復元、丸の内と八重洲はどうなるクリエイティブディレクター 仲原正治

東京駅・赤煉瓦駅舎の誕生

東京駅の乗り場案内。JR在来線7本と新幹線6本が運行されている。ほかに地下鉄丸ノ内線がある(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

1872年の新橋―横浜間の鉄道開通を受けて、線路は西に伸び、1889年(明治22年)に新橋-神戸間の東海道線が全線開通する。一方、東北方面は私鉄の日本鉄道が上野を起点に青森に向けて線路を伸ばし、1891年(明治24年)に上野―青森間が全線開通している。

空白地帯だったのが新橋-上野間である。これを埋めるために、この区間の新線計画が東京市区改正計画で提案され、1896年に、この新線の途中に中央停車場を建設することが決まった。それが東京駅誕生の瞬間と言えるだろう。実際には、日清・日露戦争の影響で工事は遅れ、1914年(大正3年)にようやく駅舎が完成し「東京駅」と命名された。

駅舎は当時、オフィス街を形成しつつある丸の内側に作られた。皇居の正面に位置することもあって中央には皇室専用の出入り口が作られるなど、国の象徴的な駅として建設された。ただし、開業した時は、東海道線と京浜線(現在の京浜東北線)が乗り入れるだけであった。その後1919年に中央線が、25年に東北本線が乗り入れ、29年には八重洲口を開設するなど、ターミナル駅として充実してくる。

東京駅の構内図(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)
東京駅の山手線ホーム。山手線の起点駅は品川。渋谷経由で終点は田端である。正式には田端・東京間は東北線の一部、東京・品川間は東海道線の一部となっている(写真:仲原正治、撮影:2012年9月11日)

東京駅が実質的に中心的な駅になったのは、東海道新幹線の東京―大阪間が開通した1964年ごろからのことだと思う。同年、東京オリンピックが開かれ、首都高速道路も開通。新しい時代に向かって新しい交通機関が誕生するという象徴的な出来事が重なった。その後、1975年に山陽新幹線が全線開通。1982年に東北及び上越新幹線が開通。92年に山形新幹線、97年に長野新幹線や秋田新幹線が開通し、東京駅の存在感が日本全国へと拡大していくことになる。

東京オリンピックの後、大阪万国博覧会(1970年)の頃から日本経済は高度成長期に入り、東京駅周辺は日本一のオフィス街としての地位を強固なものにした。また国民の生活も豊かになり、誰でもが普通に旅を楽しむ機運が高まり、東京駅を起点として出発するビジネス客、観光客が増加し、ますます東京駅の役割を大きくしていった。