【エピソード1】 その場の記録に徹する~ファリーダ~

仲間を連れた若い男が、嫌がる女性を自宅に連れていき、無理やり結婚させる「誘拐結婚」と訳されるアラ・カチュー(キルギス語で「奪って去る」の意)は、言葉のインパクトもあり、センセーショナルに報道されがちだ。こういったテーマを取材する際、私は自分の立ち位置について、何度も考える。目の前に起きている現実に、私は「介入」すべきなのか。
写真家がその場の状況に「介入」すべきかどうかについては、さまざまな意見がある。「なぜ助けずに撮影するのか」という批判がある一方、「活動家でもない写真家が介入するのはプロ意識に欠ける」という見方もある。正解はないと思っている。その場の複雑な人間関係、そこに根付いた価値観や「文化」など、そこに居合わせたからこそ判断できることもある。
「介入」するかどうか、判断を迫られる事態が起きた。2012年9月21日、誘拐の現場に初めて居合わせたのだ。誘拐されたのは、20歳の大学生ファリーダ。その数日前に、誘拐を考えている男がナルイン州にいると聞き、取材に行くと、誘拐を相談している男たちがいた。その日、本当に誘拐を実行するかはわからないと言っていたが、ナルイン市に向かう彼らに、別の車でついていったところ、目の前で誘拐が行われた。
誘拐したのは、26歳のトゥシュトンベック。1年前に町で見かけたファリーダに一目ぼれをしていた。二人が顔を合わせたのは、誘拐当日までで、たったの3回だ。ファリーダは、友人とナルイン市内を散歩中に突然誘拐された。冒頭の写真は、トゥシュトンベックがファリーダをナルイン州にある中国国境近くの小さな村に車で連れていく途中、何度か停車したときに撮ったものだ。
この時、私はその場の記録に徹することにした。キルギスでの取材を始めてから2カ月余りがたち、キルギスの誘拐結婚には、女性が「家に帰りたい」と言いつづければ帰さなければならないという「暗黙のルール」があることがわかっていたからだ。
実際、ファリーダは抵抗しつづけた。私はその様子を逃さず記録するために、シャッターを切りつづけた。その後、ファリーダは隙を見て母親に携帯電話で連絡。誘拐から10時間後、兄が助けに来た。トゥシュトンベックの親族はそれでもなお説得を続けたが、誘拐から12時間がたとうとしていた午前2時すぎ、ファリーダはようやく実家へ戻ることができた。
ファリーダのようなケースは、実はまれだ。誘拐された女性の実に8割が結婚を受け入れるといわれている。次のエピソードでは、誘拐され、結婚を受け入れたある女性を紹介する。この女性の取材中、私は思わぬ形で「介入」することになる。