2014/6/27
耳から学ぶ音楽を重視する方向性は発足当時から変わっていない

「教育事業は公益性を担保すべきだ」との川上社長の考えから、66年に会社と別に同振興会を設立。同振興会を中心に講師を養成する仕組みも作り、いつどこでも同じ質の指導が受けられるようレッスン方法を標準化した。

「グループ」と「耳から学ぶ」

60年前から続くヤマハの教育システムで、独創的だったのは「グループ教育」と「耳から学ぶ」点だった。1人の講師が複数人を同時に指導するグループ教育は、低価格でのサービス提供を可能にした。子供同士、遊びの延長として音楽を楽しみ、社会性を育むという効果もあった。「適期教育」と呼ぶ独自のカリキュラムは、子供の心身の成長に合わせて組み上げた。

国内・海外で活躍する(上から)上原彩子(撮影・三浦興一)、仲道郁代「((c)Kiyotaka.Saito)、仲道祐子(同・武藤章)の各氏

聴覚が最も発達する幼児期の2年間は聴くことを重視。みんなで歌ったり合奏したりして、楽器に親しみながら音への感覚を養う。鍵盤に触れて曲を奏でるのは、指の感覚が発達する小学生以降だ。

昭和30年代で月謝が2000円以上かかった演奏中心の個人指導に対し、ヤマハの月数百円という料金設定はより幅広い家庭に受け入れられた。音楽教室は子供に習い事をさせたい親のニーズに合致した。取引先にあたる全国の楽器販売店が主導して、10年後には国内5000会場、生徒数は20万人まで膨れあがった。

教室拡大に相まって、ピアノやオルガンなど鍵盤楽器の国内販売も急伸。いつしかピアノは中流家庭が所有し、一種のステータスを示す商品になっていった。

2002年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝した上原彩子さんは3歳の時からヤマハ音楽教室に入会し、マスタークラスの20歳の頃まで通い続けた。「最初は神戸市の教室で習い、引っ越し先でも通った」と上原さん。「毎年夏にはキャンプを兼ねた発表会があり、海外からも生徒が参加して友達になれた。自分で作曲して演奏も楽しかった」と振り返る。「演奏会の機会も多く、その時の経験は今でも役立っている」(上原さん)

精力的に演奏活動を続けているピアニストの仲道郁代さん、祐子さんも姉妹でヤマハ教室の出身者だ。それぞれ3歳から4歳のころに入会した。郁代さんは「修了した科目にはシールを貼ってもらって子供心にも楽しく飽きずに音楽の世界に入っていけた」という。

祐子さんもマグネットを使った基礎レッスンを覚えているという。音楽に限らず「少しでも興味を持った事に取りあえず進んで知ろうという考えが身に付いたようだ」としている。

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東南アジアなどで急拡大