富士山に登山鉄道構想 過去には山頂までの計画も

終戦直後、登山鉄道と地下ケーブルを組み合わせた構想も

戦後になってもいくつかの構想が浮上した。なかでも1947年(昭和22年)に持ち上がった計画は現実味があった。5合目付近までは登山鉄道、そこから山頂までは地下ケーブルカーを検討しており、地元有力者や山梨県知事など政財界の有力者を味方につけた。

「国立公園成立史の研究」によると、計画は山梨・静岡・神奈川3県からなる「富士箱根国立公園地方委員会」での了承を取り付けた。ただし一部が修正され、5合目までは自動車道路、5合目から山頂までがケーブルカーとなった。

そこに立ちはだかったのが国立公園を管轄する厚生省(当時)だ。5合目までの自動車道については合意ができつつあったが、5合目より上の開発は認めないというのが戦前からの厚生省の一貫した主張だった。

1950年(昭和25年)に文化財保護法が成立すると、5合目より上の開発は一気にハードルが上がった。そんな状況下で1960年代に登場したのが、先に紹介した富士急行の頂上までのケーブルカー構想だった。環境への配慮があったとはいえ、やはり富士山頂までトンネルを掘るという構想は、理解が得られなかった。

今回、富士五湖観光連盟が打ち出した登山鉄道は山頂までではなく、あくまで5合目までの計画となっている。5合目から上は考えていないようだ。既にある富士スバルラインの衣替えでもあり、これまで浮上してきたゼロからの開発とは一線を画す。

とはいえ、富士山周辺は国立公園となっており、自然公園法の規制を受ける。開発となると、環境影響評価のハードルもある。これらをどう乗り越えるのか。課題は多い。

登山鉄道には利点もある。運賃や運行本数、予約席の導入など工夫次第で入山者をある程度コントロールできるのだ。富士山では登山者急増による環境悪化が深刻な問題となっている。これからの富士山を考える上で、ただ観光客が増えればいいという発想は通用しない。

富士急と観光連盟がこれから構想をどう具体化していくのか。世界遺産の未来を決めるだけに、その行方が注目される。(河尻定)

富士急行は富士吉田駅を富士山駅に改称した。駅の入り口には大鳥居を設置(2011年7月、山梨県富士吉田市)
富士山5合目には多くの観光客が押し寄せる。この夏はマイカー規制も行われている(山梨県富士河口湖町)
河口湖から望む富士山。世界遺産登録を機にますます観光客が増えてきた(山梨県富士河口湖町)

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